06年度 前期沢面 夏P.W.2

北アルプス 黒部源流 赤木沢遡行 後編


【日時】
8月19日入山 22日下山 0付き 3泊4日予備日3日(行2完1) 4人

【メンバー(隊列)】
平澤−岩田−北村−広瀬

【行程】(時間は休憩を含まない、Escape,Variationの時間はコースタイムで記録ではない。)
1日目:折立−(3:18)−太郎平小屋−(1:40)−薬師沢小屋−(1:16)−赤木沢出合
2日目:赤木沢出合−(2:14)−中俣乗越−(1:19)−分岐−(Piston)(0:14)−黒部五郎岳−(1:33)−黒部五郎キャンプ場
3日目(Shortcut):黒部五郎キャンプ場−(1:47)−三俣山荘−(0:25)−黒部源流−(1:29)−祖父岳−(0:55)−雲ノ平キャンプ場
4日目:雲ノ平キャンプ場−(2:38)−薬師沢小屋−(1:39)−太郎平小屋−(2:10)−折立


Escape1:黒部五郎キャンプ場−(4:00)−中俣乗越−(2:30)−太郎平小屋−(2:50)−折立
Escape2:太郎平小屋−(0:20)−薬師沢キャンプ場
Variation Route:中俣乗越−(2:10)−黒部五郎岳−(2:00)−黒部五郎キャンプ場
3日目(正規ルート):黒部五郎キャンプ場−(1:00)−五郎沢出合−(2:30)−登山道出合−(1:20)−岩苔乗越−(Piston)(2:00)−鷲羽岳−(2:00)−雲ノ平キャンプ場

8月21日(3日目) 晴れ時々雨、ところにより雷

雷鳴
 AM3:00、まだ起床時間には早いにもかかわらず俺は平澤に起こされて目を覚ました。
 目覚めて見るとなるほどあたりの様子がおかしい。1分置き程の間隔でテントの中をまばゆい光が貫き、遠くからジェット機の飛行音のような音が聞こえてくる。
 落雷だ!

 稜線上での落雷の怖さは十分身にしみていたために(特に平澤は、実際山で二次放電による感電をその身に体験したことがあるのでなおさらである)、俺と平澤は慌てて外で寝ていた岩田に中に戻るよう促した。ところが岩田の方は案外平然としており、まだ遠くに雷雲があるので今のところは大丈夫だと主張して、しばらく外で寝ている気のようであった。(落雷の恐ろしさを知らないだけかもしれないが、それにしても大した度胸である)
 辺りはまだ暗く観天望気はおこない辛かったものの、数分ほど空の様子を確認したところ薄い雲は空全体にかかっているが、雷雲は今のところ太郎平の向こう側あたりにおり、あれ以上接近してくることがない限りはこのテン場は安全そうである。俺は岩田に「雷雲がこれ以上接近してくるようならテントの中に避難して、それまでは空の様子を観察しといてくれ。」と伝えて今後の方針を平澤と話すために一度中に戻った。
 最初に考えたのはすぐそばにある黒部五郎小屋に避難すべきかどうかであった。テントの中にいれば確かに落雷による一次感電は防げるだろうが、テントのポールなどからの二次放電は完全には防げない。これ以上雷雲が近寄ってくるまでに小屋に避難するというのは一つの手ではあった(あまり雷雲が近づいてからだと、かえってテントの外に出る方が危険なのでこの手は使えなくなる)。ただこのキャンプ場には多くのテント客が泊まっており、また小屋泊の人も大勢いるので小屋の入り口は混雑している可能性がある。それにその方法を使うと朝食等の準備が遅れるため今日の行程に差し支えるという欠点はあるのだが、しかしどうあれ身の安全には変えられまい。とりあえずこの件に関しては、雷雲が危険な距離まで近づいてきたらテントを放棄して一時的に小屋に避難することに決定した。

起床
 AM4:30。朝食を食いながら2度目の天候判断。
 雷雲はすでに黒部五郎岳の向こう側から鷲羽岳の方まで北側の空全体を覆っており、雷光が10〜15秒ほどの感覚で断続的に我々のテントを照らしている。
 この時点で俺たちは今日の正規ルートである黒部源流部の遡行を断念(雷雲はちょうど源流部の方角に存在し、おまけにこのルートは沢筋である。降雨が予想される状態での突入はさすがに考えられなかった。)、とりあえず大急ぎでテントを撤収して小屋に避難し、雷雲の様子を観察しつつ、大丈夫そうならショートカットコースでC.S.3に向かうことにした。
 結局6時ごろまで小屋で雷を観察していたのだが、どうやら落雷自体は収まりつつあるようだ。(この時期のアルプスには明け方の雷は付き物なので、今回もそれだったのだろう)それにしても驚きなのが他の多くの登山客の反応だ。大多数の人達が目の前の雷雲をものともせずにさっさと登山道に向かって歩いていってしまった。おそらく彼らは自らの経験からアルプスの朝の雷はたいしたことはないものと判断しているのだとは思うが、さすがに目視距離に雷雲を観察していながら安全な小屋を離れるとはあまりにも無謀な行為としか思えない。彼らは我々よりもだいぶ早くにテン場を離れていたため、もはや我々にできるのはその身の安全を祈るのみであった。
 6時半前にほぼ雷はおさまったのでエスケープルートで黒部源流部を大回りして、C.S.3地点である雲ノ平を目指していくことに。出発前に小屋のラジオで今日の天気予報を聞かせてもらったところ、富山県西部に大雨警報が発令されているようでどうやら沢道を避けたこと自体は正解のようだ。折しもちょうど雨が降り出し、我々は慌ててセパを着用してから出発することにした。

 とりあえず最初はこの先の三俣山荘を目指していくのだが、雨が降っている上に昨日までの疲労が足に溜まっており最初の登りはどうにも士気が上がらなかった。おそらく今日行く予定であった黒部源流コースにもまだ未練が残っていたのであろう。50分ほどだらだらと登っていったところでレスト。ちょうど2661mピーク地点であった。この頃にはもう雨脚は最初に振り出したときほどではなくなっており、この分ならじき止みそうである。ここから先三俣山荘までは下りがメインになるので少しは楽になりそうだ。
 先ほどのピークから40分ほど歩いていくと、眼下に巨大な雪渓が姿を現す。
 さすがは3000m級というところか、8月のこの時期に稜線上にこれだけの雪渓が残っているとは。幸い踏み跡はしっかりしており、コース上には赤い石灰までまかれている。(おそらくこの先の三俣山荘の人が目印のためにやってくれたのだろう) 足場は十分なものだったので雪渓上を歩く上での注意はほとんど必要なかったが、Topの平澤とCLの俺はよりによってスニーカー履きだったので(沢がメインの山行に、重い登山靴を持って来たくなかったのではあるが)、一歩一歩足をそっと地面に水平に接地して歩いていくことに。真ん中あたりで足を止めて見ると、傾斜のゆるい雪渓が見事に広がっている。ついつい踏み跡の外に足を踏み出しそうになるが、安全な場所といっても雪渓は雪渓である。(アルプスの雪渓では、実際に多くの死亡事故が起こっているのだ)最後まで慎重に歩を進めつつ、規模の大きな雪渓を横切っていった。
 8時20分ごろに三俣山荘到着、ここもしっかりとした小屋である。
 少し早いが今日の行程はショートカットを使っているので多少短めになっており、場所もいいのでここでレストをとることにした。この先は黒部源流部で、本来の沢コースなら下から沢筋を登ってくるはずのところである。ここからなら30分ほどで着くはずなのでそれほど休憩は取らず、先を急ぐことにした。
 しばらく下りの登山道を進んで、黒部源流部に到着したのは9時ごろであった。
 小さな展望台のような場所が作られており源流部が一望できるようになっている。さすがにこの場所にはかなりの雪渓が残っており、沢筋を登ってきていた場合はなかなかの困難に見舞われていただろう。ここからではよく見えないが、おそらく雪渓の脇に巻き道が付いているはずで、そうでなければあれだけの規模の雪渓を通過するのは難しいだろう(なにしろ溶け残りの氷なので、間違っても上に乗って通過する愚は犯せない)。
 時間は早いが、やはり朝も早かったことでみなお腹が空いてきたようだ。せっかく見晴らしもいいのでここで昼飯のラーメンを食べることにする。なにしろここまで雨に降られていたため暖かいラーメンはありがたかった。食べている途中ご夫婦で登っておられる様子の2人組みの登山者がやってきて多少恥ずかしい思いもしたが、まあこれはいつものことである。向こうは「おいしそうですね」と言ってくれていたが、やはり人の多いメジャーな山の登山道上でお湯を沸かすのは気がひけるなあ。この先の行程はまたしばらく登りが続くので、ここではしっかりとレストをとってから出発することにした。

祖父岳
 9時半過ぎにその場を離れ、北側にそびえる祖父岳を目指して登り始める。
 下から見上げると祖父岳の山頂にはガスがかかっていてやや見えづらい、あのガスのまださらに上の方にピークがあるのだと考えると、多少うんざりする高低差ではあるが。まあ少しずつでも登っていけば、終わらない登りはあるまい。とりあえずは祖父岳手前の鞍部にあたる岩苔乗越を目指して、黒部の源流部を一歩一歩詰め上がっていくことに。 この谷筋の道は特に足場は悪くなく傾斜もそれほどではないのだが、高度が再び上がり始めるにしたがって空気の薄さが堪え始める。いつもよりずっと早く息が切れるし、心拍数がなかなか下がらないからしょっちゅう立ち止まっては息を整える必要がある。唯一の救いは源流部の冷たい沢の水で、掬って飲むとそれだけで一気に疲労が癒されたような気分になる(それでも一時しのぎにしかならず、動き出したらまたすぐに呼吸がつらくなるのだが)。幸い谷筋の道とはいえ谷幅が非常に広いので、目標の岩苔乗越はしばらくしたら我々の視界に入ってきた。こうなればたとえ歩みが遅くても、少しずつでも目的地が近づいていることがわかるので大分楽である。辛抱の末、1時間ほどで岩苔乗越に到着。みなかなり疲れていたのでザックを置いてゆっくりと休憩をとることにした。ここまでくれば祖父岳まではあとわずかである(俺は一瞬このまま登って上で休憩しようかと考えたが、そんなことを言い出せばメンバーから総スカンくらうのが目に見えていたのでここは踏みとどまることにした)。
 岩苔乗越に到着したのは10時過ぎであり、本来ならここから鷲羽岳を目指してピストンをかける予定になっていたのだが雷雲を避けるために今日の出発時刻は遅れており、また悪天候で鷲羽岳山頂もあまり展望がよくないことが予想されたので今日はこのままピストンをカットして祖父岳に向かうことに(まあすでにショートカットを使用しているためにピークを踏みに行くための士気が上がらなかったこともあるが)。11時前に岩苔乗越を出発し、最後の一踏ん張りと祖父岳の傾斜を登っていった。体力的には厳しい登りだがそれでもあと少しと思えば何とかなるものである。祖父岳の山頂までは以外と早く着き、ガスがかかっていて展望もあまりなかったのでここは軽くレストだけとって先に進むことにした。
 10分ほど下るとガスも晴れてきて、向こうの丘に今日の目的地である雲ノ平とキャンプ場が見えてくる。陽光に照らされる雲ノ平は遠めにも眺めがよく、早く近くに行って見たい気分にさせてくれる。こちら側の山腹に降りたあたりで古い目印がテン場にまっすぐ向かう道を指し示してくれていたが、どうやら今はガレているのと高山植物保護のためにこの道は通行禁止になっているようだ(おそらく沢慣れしている我々なら高山植物の生えていないガレ斜面を突っ切ることもできたと思われるが、無理やり行こうとしたらそこを通りかかった登山家の人に止められてしまったので今回はおとなしく右から大回りすることに)。山腹を巻いて右に進むと軽い藪の中を通過して向こうの尾根の反対側へ抜けることができた。そこからはリッジ上の尾根の脇をつらつらと歩いて進んでいく(こんな簡単な登山道でも、谷側に一歩踏み外せば命がないというのだから怖いものだ)。この日は少し前からだいぶん天気がよくなってきており、ここにきてようやくアルプスの壮大な眺めを十分に堪能することができるようだ。今日の目的地も近いことだしここはゆっくりと眺めを楽しませてもらうとしよう。目の前の山稜からはるか向こうに見える剣まで、押し寄せる波のように連なる山々が壮大な威容を称えている。合宿も3日目に来てようやくアルプスらしい山並みを目に収めることができ、みな一様に喜んでいるようだ(特に北ア初体験となる岩田には、いままでしんどい思いをしてきた分までいい思いをしてもらえると嬉しいのだが)。


 穏やかな雲ノ平の高山植物たちに囲まれ、キャンプ場と小屋との分岐地点に到着したのは12時20分頃であった。これにて今日の行程は終了、後は小屋でテント泊の申し込みをしてくるだけである。みな3日目の行程だけあって今までの疲労が表に出ておりここまでの道のりは相当にしんどいものだったのだが、その分到着したときの開放感もひとしおである。しかしこの気持ちの緩みが裏目に出てしまったのか、我々は分岐地点にザックを放置し手ぶらで小屋に向かって先に申し込みを済ませるという行動に出てしまったのである。確かに小屋までは20分ほどで、空も晴れ渡りさっさと済ましてくれば何の問題もないように思えたのかもしれないが、せめてセパは持っていくべきであった(山の天候は変わりやすいということは重々承知していたはずなのだが…)。
 幸い小屋に着くまでは何の問題もなく、涼やかな高山植物たちの間を通って実際に20分ほどで到着した。小屋では各自1杯分だけご褒美にジュースを飲むことにし、申し込みもすぐに終わってさあ帰ろうとしたのだが、そのわずかな隙にあっという間にガスはこの雲ノ平に迫っていたのである。にわかに白くなってきた視界の中で、みんな大急ぎで荷物まで戻ろうとしていた。俺としてはこのまま小屋で雨が通過するのを待ってからの方がいいような気がしていたのだが(ザックにはザックカバーはつけていたので、そちらが濡れる心配はなかった)、いまから走ればぎりぎり間に合うかもしれない。結局一か八かにかけることになり、一同俺を先頭にザックまで木道を一目散にダッシュする(今思えばこれが2度目の判断ミスであったが)。しかしやはり山の天候は無情、もろくもザックまで後半分ということとでやはり雨は降り出してしまうことになるのである。途中我々とは逆に小屋の方に向かっているPartyの横をすり抜けて(彼らも同じような目にあっていたようだが)、滑りやすい木道の上をひた走りに走る。なにしろ空気が薄いので容赦なく息が切れるし、無茶な運動をさせているせいで関節が痛い。ガタのきた体を引きずって何とかザックにたどり着いたときにはすでに服はたいがいびしょ濡れになってしまっていた。とにかく大急ぎでセパを着込んでザックを担ぐ。不幸中の幸いかキャンプ場はそこをすぐ下った所にあるので、みなほうほうの体でテン場まで駆け下りて、今度は慌ててテントを建てやすい場所を捜索することに。さすがにキャンプ場だけあってどこもそれなりに整地されているのだが、いかんせんこの雨のせいであちこちに水が溜まっている。降り続く雨の中どうにか水はけのよい場所を必死に選び出してテントを組み、転げ込むようにして全員がテント内に避難した頃にはすでに1時半を回っていた。
 皆見るからに惨めな姿になっているのでまずは濡れた服を着替えて、とにかく一度テント内に落ち着くようにする(本来は沢で濡れた時用の着替えなのだが、まあもう明日の行程に沢はないのでかまわないだろう)。ようやく人心地ついたので、とりあえず先ほどの行動の反省をすることにした。やはり山中ではテン場に着いたら何をおいても真っ先にテントを建てなければならない(ここのように、小屋にその許可を取らなければならない場合でもである)。それに少なくともザックを手放して行動する場合は、それがどれほど短距離であっても雨具は携帯するべきであった(山の天候は本当に気まぐれである、まあたった今味わったばかりではあるが)。そして万が一手元に雨具が無い状態で天候の悪化が予想されたのであれば、手近の雨を避けられる場所(この場合は小屋)で待機し天候の回復を待つべきであろう(何とかなるかもしれないという希望的観測こそが、山ではもっとも危険な行為なのだ。それは十分に分かっていたつもりだったのだが…)。

 とにもかくにもこうしてようやく体を休めることができたのだ。
 まだ晩飯を作るまでには時間があったし、恒例の麻雀やトランプをしながら時間を潰すことに。麻雀の方は濡れたテントの中であまり使いたくなかったので結局4回戦の途中で終わってしまった。途中経過だけ記すと終始小場の展開で、大きな上がりは岩田の親での11600点ぐらい。平澤が南2の親で2600は2本場で2800点オールをツモ上がって俺と同点の2着になったところで終了し、この時点でのTopは+9.7で岩田であった。(機会があったらまた続きを打ちたいものである)
 この日の晩飯はそろそろ保存食も限界に来ていたので、簡単なレトルトで各自が好きなものを買ってくることにしていた。俺はシンプルに牛丼にしていたのだが、みなパッケージを見ての一発勝負でいろいろなものを買ってきていたようだ。簡素な食事をすませたあとは、相も変わらずの酒盛りを始める。予定通りに行けば今日が最後の一泊になるはずなので(もちろん明日の行程が進まなければ、太郎平のキャンプ場でもう一泊することになるが)、酒の残りを気にすることもなく心行くまで楽しむことにした。(とはいってももうそれほど残ってはいなかったが)
 それにしても今回の計画もようやく明日で終わりである。さすがに疲労はずいぶんと足にきている上に、明日は初日に苦しめられた薬師沢小屋への下りを、今度は反対に登らなければならないという厳しさもある。それでもあと1日と思えば否が応でも力が沸いてくるもので、俺は明日の行程に関してはそれほど心配してはいなかった。心残りがあるとすれば、今回のアルプスではまだ夜中に満点の星空を見ていないことが少し残念ではある(0日目の星空はまだ山に入っておらず、近くに明かりもあったため十分に楽しめたとは言えなかった)。今日もこのまま雨が降り続けるとすると今晩の星は期待できなさそうである。やはりアルプスに登る楽しみの一つとして、この高度ならではの澄んだ星空ははずすことはできないだろう。この北アでは過去何度も、見上げた視界360度全てに広がる壮大な星空を味あわせてもらってきた。しかしこればかりは天気しだいのものだし、星が見たければ来年また登ればいいだけのことである。ともかく明日の行程も決して楽なものではないと覚悟しておいたほうがいいだろう。この日も7時に就寝時間をとり、少しでも早く動き出せるようにして明日の朝にそなえることにした。

8月24日(4日目) 晴れ時々雨、ところにより雷

起床
 まだ空も白まぬ早朝の3時半に起床。テントを開けて外の様子を確認すると、綺麗な星空が確認できたので少なくとも朝から雨の心配はないようだ。
 最終日の朝食はお湯を沸かすだけでできるお手軽ぜんざいで、以前に粉小豆でぜんざいを作ったらメンバー全員に激しく不評だったこともあり今回はちゃんとした小豆を持ってきていた。(おかげで朝からなかなか心地よい甘さを味あわせてもらった)この日は前日の天気図で午後から天候の悪化が予想されており、コースタイムも最終日にして9時間の長丁場となっていた。そのため起床時間もかなり早めにして沢面にしてはテキパキとした行動でテント等の撤収を済ませている。まあそれでも1時間出発を少しオーバーしてしまったが、よくやったほうだろう。さすがに4時半ではまだ辺りは暗いので、ここにきて切り札のリヒト山行を敢行することとなった(何とか雨が振る前に下山しようという沢面の覚悟が仄見える様ではないか)。
 まだ薄暗い中明け方の雲ノ平の木道は、昨日の雨と朝露で濡れていてかなり滑りやすい状態である。なにしろ視界はリヒトで照らされている部分しかないので非常に危なっかしい。先を急ぎたいのは山々ではあったが、じき日が昇り始めるはずなのでそれまでは慎重に歩を進めることにした。30分ほどで奥日本庭園到着。まだ太陽は山陰に隠れているようだが、それでも辺りは少しずつ明るくなってきたようだ。奥日本庭園はぱっと見あまり庭園という感じはしないが、積雪期に眺めるとよい雰囲気をかもし出しそうな場所である。この雲ノ平の風景を昼間の陽光の元でゆっくりと眺められないのは残念ではあったが、今日の目的は一刻も早く下山することである。俺は雲上の楽園と呼ばれる景色に名残を惜しみつつ、足早に木道を通り抜けていった。

 しばらく行くと少しずつ傾斜が下りになりだし、それとともに周りが木に囲まれ始める。どうやら森林限界を下回ってしまったようで、まだ薄暗い状態で森の中に突入するとますます視界が暗くなり歩きづらいことこの上ない。なんとか斜面に足をとられないようにしてさらに進んでいくと、その先で足場が岩剥き出しの地面に変わっている。どうやら木道はここまでのようで、時間的にもちょうどいいので少し行ったところの木陰でレストをとることにした。しかし足場の悪い場所は神経をつかう(特に下りはなおさらであるが)。体力的には下りであたりの気温も低いため楽なのだが、気を緩めると一瞬ですっ転んでしまいそうでなかなか気を抜けなかった。
 レスト後に今度はうっそうとした木々に囲まれた苔むした岩場を下り始めたのだが、こちらはさらに厄介なものだった。どの岩の表面にも朝露の湿り気が十分に含まれた滑った泥がついており、体重をかけるとあっという間に滑ってしまう。慎重にフリクションを効かせて足を置いても、足元の苔ごと一気に剥がれ落ちてしまうこともあった。俺と平澤は長い沢経験からこのような足場に対処する方法を体得しているのだが(要は体重の分散であり、足の裏の感触からあとどのくらいその足に体重をかけたら滑るのかを経験的に覚えているということである)、岩田と北村はなかなかに苦労しているようだ。おそらく彼らの足回りが登山靴で、俺と平澤がスニーカー履きだということも影響しているのだろう(登山靴は確かに登山道での最強のアイテムではあるが、衝撃から足を保護するために硬い靴底を敷いており、それが返ってこのような地形ではあだになってしまうのである)。スニーカーは底が柔らかいため岩に対する接地面積が大きくなるという利点があるのだ。おまけに岩田は背中が重いので余計に滑りやすいらしく(北村はすでに食料を使い切っていたため大分軽量化していた)、この下りにはかなりの苦戦を強いられていた。当然ペースはまったくあがらず、2ピッチで薬師沢小屋まで下りきるという俺のもくろみはどうやら無理そうである。1時間ほど歩いたところで少し道を外れて、座りやすい木々の中でレストをとった。
 座って休憩していると下から登山者達が登ってくる。元気に「おはようございます」と言って話しかけると、彼らは「この道は登りでも大変だったから、下る人は気をつけていってね」と忠告してくれた。すでにこの下りの危険性は重々承知していたので、「気をつけていきます」とだけ答えると彼らはそのまま登っていく。どうやら今のが昨日薬師沢小屋に泊まっていた登山客の中では一番早く登ってきているPartyのようで、ここから先は何組かのPartyと行き違いそうである。ちなみに俺たちは4時半に雲ノ平キャンプ場を出たのだが、すでに4時ごろに先に出発していた4人組のPartyがおり、彼らが尾根上に4つのリヒトの明かりだけともしてふらふらと歩いていく様子が朝のテントを撤収している我々からも確認できた。いまごろ彼らはもうすでに薬師沢小屋に着いているのであろうか。
 気を取り直して行動再開。予想通り何組かの登山客が下から登ってくる中を、我々は相変わらずじりじりとしたペースで下り降りていった。すでに木々の向こうに薬師沢の谷筋が確認できるところまで来ており、後もう少しだということはわかっているのだがそこからがなかなか進んでいる気がしない。我々は「時間的にはもうついてもいいはずだ」ということを心の支えにして、代わり映えのしない視界の中をひたすらに進んでいった。結局レストから30分ほどで、初日に通った薬師沢小屋の前まで到着する。しかしこちら側から薬師沢を渡って向こう側に行くためには本来の橋が整備中のため多少ややこしい迂回路を通らなければならないようだ(もちろん沢の中を突っ切れば簡単に渡れるが、流れも強く川幅も広いので登山靴では到底無理だろう)。我々は看板に記された順路に従って山腹を巻き、仮設の橋を渡ってようやく向こう岸の薬師沢小屋に到着することができた。

太郎平
 体力的にはみな休憩を欲しがっていたようだが、俺はこの先の太郎平までの道を初日に通過したとき皆が結構しんどい思いをしたことを覚えていた。いま休憩を取るとその厳しい道を、しかも登りで行かなければならなくなるのでおそらく3ピッチかかってしまうだろう。それならばここで無理して少しでも進んでおくことで、その後2ピッチで登りを終わらせることができるはずである。そう考えた俺は心を鬼にしてメンバーを説得、ここでは水だけ飲んで先を急がせることにした(後でうらまれそうだなあ)。
 薬師沢小屋の水だけ飲んで多少体力を回復させた後は(それこそ気休めにしかならなかったが)、傾斜こそゆるいもののじりじりと足にくる登りを進んでいった。しかし木道にはいると多少は歩きやすくなってきたようで(初日の逆でところどころに下りが入るのもありがたかった)、みなそれほど劇的にペースを落とすこともなくなんとか頑張っている。こうなると俺にも多少の欲がでてきてしまい、最初は「30分ほど行ったら水の飲める場所でレストをとるか」と思っていたのだが、無理すれば初日にレストした支流まで足を伸ばせるんじゃないかと思えてきたのである(そうすればその後は1ピッチで太郎平まで行くことができる)。問題となってくるのはやはり岩田の体力だったので、休めそうな水場に到着したときに俺が岩田に聞いてみたところ「まあ何とか頑張ってみます」と言ってくれたのでそのまま進むことに。(さすがに不承不承仕方なくといった感じではあったが、ここは皆のために岩田には涙を呑んでもらうことにした)結局薬師沢小屋を出てからさらに1時間以上のロングピッチの果てに、初日にレストをとった大きな支流との出合に到着することができた。
 さすがに今の1ピッチはしんどかったのでここで長めのレストを取る。時刻は8時半を回っており、そろそろ日差しが暑くなってくるころなので最後の沢の水を十分に堪能しておくことにした。まだこの時間だと薬師沢からも太郎平からも人はこないようだ(まあこのコース自体あまり人が通らないところなのだが)。ある程度休憩を取ったところで(本当はみなもっとレストを取りたいのだろうが、これ以上腰を下ろしていると立つのまで億劫になってしまいそうだったので仕方なく)、リーダーの俺が鞭を振るって出発を促すことにした。ここからはいよいよ最後の登りである。その高低差もさることながら、ここまでの疲労がいかにも足を重くさせる。しかし全員最後の登りということで力を振り絞ってくれており、決してペースはあがらなかったが足を止めることなく進み続ける。途中太郎平まで後少しと迫ったところで激しいヘリのプロペラ音が聞こえてくる。しばらく見ていると何らかの荷物を吊って薬師沢小屋の方へ飛んで行き、向こうで荷物を下ろして再び太郎平の小屋まで荷物を取りに往復しているようだ。おそらく薬師沢小屋の橋の改修に使うのであろう。さすがに何度も頭の上で爆音を鳴らされては少々やかましい思いもしたが、なんにせよ太郎平まではもうすぐである。最後の一踏ん張りで急斜面を駆け上がると、丘の向こうにぽっかりと太郎平の小屋が姿を現した。 後はなだらかな登山道を進むだけである。予想していたよりもかなり早く、9時半過ぎに太郎平に到着。せっかく空も晴れているしここを逃すともう食べるところがないのでここで昼食レストをとることにした。
 初日にも思っていたことだが太郎平はその山並みが日本海に面しているため風が強い。おそらく富山湾からの海風がここまで届いているのであろう。理由はどうあれその強風のせいで今日の昼食は大変であった。なにしろ保存とエネルギー効率だけを考えてビスケットなどのお菓子類だけしか持ってきていないのだ。(しかもそのお菓子の運搬担当は俺で、適当にザックの間に詰め込んでいたためすでに粉々に崩れてしまっている)休憩所の机の上に広げた先から風にまかれてあたりに散らばり、そこらにいる山鳩のいい餌食となっている。合宿最終日の昼飯にお菓子類を持ってくるのはやめた方がいいかもしれないなあ。のんびりと昼食を食べていると、今度は麓からどこかの高校生らしい20人ぐらいの集団が登ってきたようだ。みなほとんど空荷の状態で登ってきており、一見して何の集団なのかはわかりづらい。夏休み中ということを考えるとおそらく何かの部活動なのだとは思うが、いったい何部なのであろうか。彼らを横目で見ながら粉っぽい昼食を片付け、十分に休息をとった後で再び出発することにした。

雨と女子高生
 ここから後はもう下るだけである。
 もちろん足に負担はかかるだろうが、体力的には楽なものだ。眼下に富山の町並みを眺めつつ、3日前に登ってきた道を今度は反対に駆け降りていった。少し降りたところで後ろから早足の高校生の男の子3人組に追い抜かれる。どうやらさきほど登ってきたばかりの例の高校生集団の一部のようで、登ってきたばかりでもう下り始めるとはますますもって彼らの行動目的がよくわからなくなってくる。もしかしたらどこかの体育会系クラブの合宿かなんかで、この急傾斜を往復することで体力を鍛えているのではなかろうか(陸上部のクロカン用トレーニングとかかもしれない)。しかしいくら向こうが空荷とはいえ下りで後ろから抜かれるのは悔しいものである。一瞬こちらも全速力で追いかけてやろうかとよくない考えが頭をよぎったが、そんなことをすれば確実にメンバーの足が壊れてしまうのであっさり断念した。男子の集団には結構な人数に抜かれていったが、それにしてもなかなかの健脚である。あっという間にみな視界から消えていってしまった。
 1時間ほど下って、すでに森林限界を下回ったところで森の中で一度レストをとる。場所的には1999mピークの手前ぐらいであろう。ここまでくれば後は少し長めの1ピッチで下れそうである。横を通って下っていく何組かのPartyに挨拶した後に、我々も最後の1ピッチに踏み出すことにした。さすがにもう最後だけあってあせることもなくゆったりと下っていっていたのだが、下山まで残り20分というところでにわかに状況が変わり始める。なんとここにきて遠くから雷鳴が響き始めたのである。
 どうやら前日から予想していた夕立が追いついてきてしまったようなのだ。このままでは下山まで後少しという所で雨に降られることになるやも知れず、みな先ほどまでの余裕をすっかり失って急にペースを上げ始めた。 とはいえ背中の荷物とこれまでの疲労が足にきているせいでなかなかペースがあがらない。そんな折に、今度は先ほどの高校生グループの最後尾と思われる女子高生の3人組が後ろから追いついてきたことが声でわかった。荷物のハンデがあるとはいえいくらなんでも女子高生には負けたくない。しかしこちらも山男のプライドがあるため下りでむきになってペースを上げるわけにも行かない。ここまでTopとして我々を率いてきた平澤の心の中で、ここにきて激しい葛藤が巻き起こっているようであった。結局平澤は走らない程度のぎりぎりの早足で後続を突き放しにかかる決断を下したのであるが、なぜかいつまでたっても彼女たちを振り切ることができない(高音の声が山の中に響いているだけなのだろうか、甲高い話し声が我々のすぐ後ろから聞こえてくるようなのである)。その後彼女らの姿が目で確認できるようになってからも、我々は最後の下山口直前まで激しいデットヒートを繰り広げていた。しかし善戦むなしく、下山まで後数分というところであえなく道を譲ることになってしまったのである(下山してからも、平澤は最後までこのことを悔しがっていたのだが…)。

下山後
 結局下に降り着いたのは12時20分過ぎのことで、驚いたことに下山した直後に激しい雨が降り出し始めた。我々は雨が降り出す直前に入山口横の管理小屋に避難できたからよかったものの、後ろのPartyは哀れなことに全滅のようだ。後続は15分後ぐらいからぽつぽつと降りてきていたが、やはり皆ずぶ濡れの状態である(われわれが間に合ったのも本当にぎりぎりだったので、これはさっきの高校生集団に感謝しておかなければならないようだ。彼らに引っ張られてペースを上げていなかったらおそらく下山寸前で我々も雨にやられていただろう)。帰りのバスには僅かに間に合わず、仕方なく3時50分発のやつに乗って帰ることにした。しばらくは管理小屋で避難していたのだが、後から雨に降られた登山家達がぞくぞくと押しかけてきていたので濡れていない我々はキャンプ場の水場に場所を移すことに。どの道時間を潰さなきゃならないことに変わりはなかったので、狭いスペースでむりやり恒例の麻雀を行なってちょっとだけ局を進めることができた。
 なにかと長く感じた夏P.W.赤木沢もこれで終わりである。総評としては「沢と縦走くっ付けるべからず」と言ったところか。後に縦走が控えていると思うと魅力的な沢も十分に楽しめないし、沢を終えた後にピークに登っても時間が遅いので展望が見込めない。全体としてやや中途半端な感のあるP.W.となってしまったが、まあ縦走と沢を複合させること自体が新しい試みである。このような計画なら沢の経験値が少ないメンバーでも連れて行くことができるだろうし、P.W.としては内容も濃いものになっていたといえるだろう。
 しかしこれで沢面の夏が終わったわけではない。
 次なる目標は群馬・新潟の県境、谷川の沢めぐりP.W.である。さすがに連戦に次ぐ連戦でみな疲労の色は隠せないが、明日はここ富山県に設置されたワンゲルの夏山ベースキャンプ(実際はS.L.の平澤の実家が富山にあるのでそこで泊めていただいているというだけの話ではある、平澤家のみなさんありがとうございます)で1日体を休めることもできる。
 俺はまだ見ぬ沢に思いを馳せつつ、意気揚々と帰りのバスに乗り込んだのである。


文責:広瀬

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