2006年度後期 縦走面 森戸Party 合宿

屋久島 縦断縦走 尾之間〜宮之浦岳〜楠川


【日時】
2007年3月19日〜20日 0付1泊2日(予定では3泊4日) 予備日3日(行2完1) 3人

【メンバー】
CL:森戸,SL:松尾,他:冨士

【行程】
19日(1日目):尾之間−蛇ノ口滝手前で撤退−ヤクスギランドから再入山−淀川小屋
20日(2日目):淀川小屋−黒味岳分岐−投石岳付近(撤退決定)−淀川小屋−ヤクスギランド

【概要】
  いよいよ後期縦走面の集大成となる合宿を行うため屋久島へ向かった我々だが、折悪しく接近してきた低気圧のせいで川の渡渉は阻まれ、稜線上には雪が積もり、バタバタした挙句まさかの合宿撤退。この山行は唯々残念でならなかった。

3月17日(土)
 春休みも残り2週間ばかりとなったこの日、我々は屋久島を目指すためPart2と同じく大阪南港へと集まった。屋久島への行き方は何通りかあるのだが、前年鹿児島まで18時間耐久電車の旅という地獄の体験をした私と冨士にとってはもはや青春18切符による移動手段は選択の対象外であった。そこで他の移動手段を考えていたのだが、松尾の意向もあって大阪〜宮崎間を運航する宮崎カーフェリーを利用しようということになったのである。どうやら松尾はPart2で使ったフェリーがいたく気に入ったようで、「寝そべってダラダラしているうちに宮崎まで行けるんだぜ」と実に彼らしい言い分で私と冨士は説得されたのである。
さて今回松尾と冨士がフェリーの乗船時刻に遅れてきたものの何とか無事に乗船を果たし、船は19時半に出発した。船内は長距離フェリーということもあって通路は広く、ロビーに大型テレビなど置かれてあって快適にすごせるよう設計されている。公衆浴場やゲームセンター、カラオケボックスがあり、娯楽には事欠かないようだ。松尾はゲームコーナーの脱衣麻雀に2回挑戦し、2回とも相手を脱がせることなく負けていた。この麻雀はゲーム的要素が強くてアイテムを使って牌の入れ替えや相手の手配の覗き見ができるようなめちゃくちゃな設定がされているのだが、最初プレーヤーはアイテムがないのでデフォルトで打たなければならず苦労するわけである。相手に勝つと脱衣が始まるわけだが、プレーヤーが必死にボタンを叩いて相手を脱がせる必要があるので、傍から見るとかなり恥ずかしいゲームである。
 松尾がゲームで遊んだ後はロビーの通路で各自持ち込んだ酒を日付が変わるまで飲んで寝た。

3月18日(日)
 宮崎には8時半に到着。宮崎駅までは距離があるのでタクシーを利用した。この年、宮崎県知事にそのまんま東が当選し、タクシーの運ちゃんとはその話題で話したように思う。街のあちこちにある地鶏を使った料理屋がおいしそうだった。宮崎駅へ向かったのは電車に乗るわけではなく、宮崎駅前から出ている鹿児島行きの高速バスに乗るためである。隣の県だからといって侮るなかれ、宮崎と鹿児島を結ぶ日豊線は特急以外の電車はほとんど走っていないため使い勝手が非常に悪い。駅前から出ている高速バスのほうが便数が多いかもしれない。乗り込んだ車内には乗客もさほどおらず、快適に鹿児島へ。鹿児島中央駅に到着した後、買出しを済ませて鹿児島港から高速船に乗る。屋久島へは飛行機を除けば必ず鹿児島の港からフェリーまたは高速船に乗らなければならないので、必然的に鹿児島に来ることになるのだが、ここで京都から屋久島への交通手段について書いておこう。
 先に述べたように屋久島へは鹿児島の港を利用する必要から、1)京都から鹿児島までの移動手段と2)鹿児島から屋久島への移動手段、この2つを検討し、両者の接続を調べることが肝要になる。1)の移動手段はJR、高速バス、フェリーの3つのいずれかを使うのが妥当だと思う。JRは青春18切符を使えば一日2,500円で乗り放題だが、京都を始発で出発しても鹿児島に一日で辿り着かないのである。せいぜい福岡県内までが限度だろう。夜行電車と組み合わせて行けば最短時間で着くかもしれないが、ほぼ丸一日電車に揺られることになる。電車に何時間でも乗っていられる乗り鉄であればなんてことはないだろうが、前年18時間乗っていただけでも限界だった私と冨士は今回これを使いたくはなかった。JRの次に経済的といえるのが高速バスだろう。京都駅から鹿児島中央駅までの高速バスなら1万円ほどの料金で、青春18切符を利用したJRよりはやや割高感があるものの、3つの選択肢のうち最短時間で鹿児島まで行ける。最後にフェリーだが、船内が広くゆったりくつろぎながら移動できるというのは魅力ではあるものの、宮崎から鹿児島まで高速バスに乗り継ぐ必要もあり、経済性や移動時間の早さという面からするとあまり良い移動手段とはいえない。あくまでのんびりと旅行気分を味わいながら行きたい人向けの移動手段だと思う。
 続いて2)の検討だが、鹿児島からは3つの船が出ている。高速船の「ロケット」と「トッピー」、そしてフェリーの「ハイビスカス」である。2つの高速船の違いらしい違いはこれといってない。運行時間が少し違う程度なので鹿児島についてからどちらが乗りやすいか接続を考えればよいだろう。ハイビスカスのほうだが、こちらは1日1往復のみの運航で、鹿児島を夜に出発し、明け方屋久島に着く。ハイビスカスのほうが運賃が安いので、翌日のスケジュールがきつくなければこちらがお勧めである。ちなみにJRを使った場合、ハイビスカスとの接続を考えて動けば最も安く移動できると思う。
 さてさて、翌日の行動時間が長かった我々は、高速船で屋久島に向かい、18時半に屋久島の案房港に到着し、すぐにバスで尾之間へと移動した。19時ともなればさすがに辺りも真っ暗で繁華街らしいものもない尾之間はひっそりと静まり返っていた。夕食を手早く済ませた我々は、寝るところをしばらく探してみたものの、雨風がしのげそうな都合のいい場所などなく、仕方なく道路沿いの空き地にシュラフを広げて寝転がった。翌日は鯛ノ川の渡渉もあるので雨が降らないことを祈りつつ、21時に就寝した。

3月19日(月)雨のち強くなる
5:00 起床
6:03 出発
7:51〜8:04 蛇ノ口滝への分岐
8:15 蛇ノ口滝渡渉地点
9:55 尾之間温泉まで撤退。
11:30 安房まで移動
13:37 ヤクスギランドを目指す
14:39 紀元杉到着
14:57 淀川入山口
15:39 淀川小屋着
19:30 就寝

 初日は5時に起床する。まだ夜も明けきらぬ中で朝食をとり、出発に備える。見上げれば空は曇天、この日に入山することに不安がよぎるが、雨が降り出さないうちに渡渉してしまおうと考えながら出発した。ところが入山するや否や雨がぱらつき始め、まもなく本降りになった。役員会ではこの日予定していた鯛ノ川の渡渉は雨が降ると増水が早く渡渉は危険と注意されており、雨の日の渡渉は避けると宣言していたこともあって、尾之間へ引き返すことはすでに確定していたわけであるが、途中のレストの際に他のメンバーに何もしないまま引き返すのもつまらないと蛇ノ口滝を見に行くことを提案した。幸い二人も同意してくれ、我々は蛇ノ口滝を目指すことにした。だが、入山から2時間ほどで蛇ノ口滝手前の渡渉地点に到着すると、無常にもこちらの渡渉も不可能なほど川は増水していた。入山から2時間、高度は大して上がっていないにも関わらず、飛び石が半分近くも水面の下に沈んでおり、屋久島の水量の豊富さというか河川の増水の早さに驚きを覚えた。流れも割りと速く、一時撤退を決定しているのに蛇ノ口滝で危険は冒せないと判断し(正直なところ増水の早さにビビり)、結局何もできないまま尾之間まで引き返したのである。
 尾之間まで撤退した我々はこれからの行動について話し合った。雨に降られて引き返してきたとはいえ、せっかくの屋久島、入山する気満々だった私はなんとか少しでも登山ができるように計画を練った。ヤクスギランドに近い淀川入山口からならば、CS1を予定していた小屋まで30分で到着できそうである。小屋なら雨風もしのげるし、何よりこの日のうちに入山できると考えた。今振り返ってみると、この先の天候のことも考えず急いで入山しようとしなければ別の結果になっていたのかもしれない。どうして、民宿の宿代をケチってしまったのだろうか。
 尾之間から安房、紀元杉行きのバスに乗り継ぎ、15時に淀川入山口から再入山した我々は、強さを増す雨に震えながらも淀川小屋に到着し、この日の行動を終えた。全身が濡れきっており、寒さに耐えながら晩飯を作る。晩飯と鹿児島で買った焼酎で体は温まったが、外気温が低く、衣服がほとんど乾かない。19時を過ぎると雨が雪に変わる始末で、明日の行動に不安を抱きながらシュラフに入った。

3月20日(火)雪
5:00 起床
6:25 出発
7:32 小花ノ江河
7:55 花ノ江河
8:11 黒味岳への分岐
8:17 黒味岳Piston中止
8:22 分岐に戻る、今後の行動について話し合う
9:00 投石岳付近で撤退決定
11:07 淀川小屋にて昼食
14:33 淀川入山口 下山
16:00 安房着

   5時に起床をしたものの、辺りはまだまだ暗かった。そして辺りの地面に降り積もった雪が…。判断が甘かった。3月になったとはいえ、屋久島の下界の平均気温は十数度、山に入れば簡単に零度以下になってしまう。そんな状態で低気圧が近づけば簡単に雪が降るのだ。下界が雨でも、山の中は雪。屋久島の気象をきちんと把握しておけば、昨日は安房の民宿で一晩泊まって様子を見るということもできただろうに…。3人で話し合った結果、とりあえずいけるところまで行ってみることにしたものの、日本最南端の湿原である小花ノ江河は雪原になっており、Pistonに向かった黒味岳では歩き始めて6分で撤退する始末。挙句の果ては投石岳付近の斜面が凍結しており、進むことができなくなって撤退を決定した。
 残念無念、全く何もできないまま、我々の合宿は終わってしまったのである。

【下山後】
 撤退した次の日レンタカーを借りて屋久島観光をしたが、その日が屋久島に来て最も天気が良い日だった。やはり天候判断を誤ったことが今回の合宿失敗の一番の原因だろう。ちなみに私は淀川小屋にカメラを忘れ、まさに泣き面に蜂だった。

【まとめ】
 まとめるべきことは本文中にも書いたように、3月の屋久島の天気を甘くみないことである。二度も撤退した我々は、すっかりやる気を削がれて再入山する気力もなくなってしまった。今後屋久島に行く後輩には入山する前に天気予報をしっかりチェックすることと、雨が降りそうなら天気が回復するまで下界で様子を見ることを薦める。最後に、松尾の感想を書いてこの記録を締めくくろう。

「フェリー、ドライブ、磯遊び、漫画喫茶、お酒、とてもたのしかった」
山のやの字さえない。


文責:森戸

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