06年度後期 沢パーティ合宿

西表合宿PART2 <海岸歩き> 南風見田浜~船浮 西表島半周

行程
1日目:南風見田浜…別れ浜…大浜(CS1)
2日目:大浜…クイラ渡り…鹿川(CS2)
3日目:鹿川…落水崎…ウビラ石…幸滝(CS3)
4日目:幸滝…パイミ崎…野浜(ヌバン)(CS4)
5日目:野浜で晴れ沈(CS5)
6日目:野浜…網取…ケイユウオジイとシロの浜(CS6)
7日目:ケイユウオジイとシロの浜…(西山林道経由)…イダ浜(下山)
    (計画ではサバ崎経由)


3月16日(金) 曇り一時雨
のはら荘で朝食をいただき、9:17にのはら荘のおじさんの車で南風見田まで送ってもらう。南風見田で入山連絡を済ませ、9:43入山。10:24~34にレストを挟み、11:10別れ浜を通過、11:31~51、昼食レストを取る。ここで、岩田が地図を無くしたみたいだと騒ぎ出した。かなりの問題なのだが、そんなことで撤退するわけにもいかず、そのまま前進。12:25大浜に到着し、この日の行程は終了した。

とりあえず、俺は釣りに出掛けた。リーフの上には結構大きな魚がいて、時々ルアーにかかるのだが、いかんせんかかりが浅く、すぐに外れてしまう。そうこうしているうちに、1mくらいの魚がかかり、ルアーをちぎられてしまった。おかげで俺はすっかりやる気を無くしてしまったのだが、広瀬が吊槍グングニル(石垣の離島桟橋近く,中村釣具店で売っている。竹製)で真っ青なスズメダイを仕留めて海からあがって来た。海岸歩きで一番良く見かける,あの青い魚である。この時はまだ薪が湿っていて焚火をしていなかったし、魚の大きさも小さかったので、麻婆豆腐にぶち込む。赤い麻婆豆腐に青い魚が浮かぶという、見た目に気持ち悪い夕食が完成した。見た目とは裏腹に,味がなかなか良かったのは幸いであった。

夕食後、海風で薪が乾いてきたので焚火を行い、周りで酒を飲む。今回は広瀬が秘密兵器係としておいしい古酒を持ってきてくれたので、獲物がなくても楽しい夜が過ごせた。テントに戻ってからは、広瀬の秘密兵器、麻雀をする。この時,麻雀をする為にテントの中を整理していたら,岩田の地図が出てきた。間違えてザックにしまっていた様だ。やれやれ。なお、この日以降、ほぼ毎日麻雀をしたのだが、結果は 広瀬のホームページ を参照してほしい。麻雀は22時前に終了し、自然就寝となった。風がけっこう寒いというのに,広瀬と岩田は外寝を決行していた。



3月17日(土) 曇り
朝早く目が覚めたが、風が強くて釣りは断念。外寝の二人は、焚火を絶やさないようにして寒い夜を乗り切ったようだ。朝食をさっさと済ませ、暫くダラダラと潮待ちして、9:41に出発。風がかなり強く、砂浜の上を歩くとき砂がビシビシ当たってくる。痛い思いをしながら、10:38~49にレスト。10:52に、クイラ渡りの入口に到着した。クイラ渡りはかなりの急登で疲れたが、踏み跡がしっかりしていたので特に問題にならなかった。11:36にクイラ渡りを終える。直後、蟹を一匹捕まえたのだが、かなりのパワーの持ち主で、挟まれた俺の悲鳴が辺りに響いた。西表の蟹は,素早いか強いかの二択である。どうも京都周辺の蟹とはレベルが違う様な気がするのだが,どうなのだろう?痛すぎたので、そのまま昼食レストを取ることに(11:40~12:35)。この間に俺は軽く釣りをして、カンモンハタを一匹釣った。記念すべき最初の獲物なので、きちんと写真を撮ってもらってから逃がしてやった。その後はリーフの上をひたすら歩き、13:33に鹿川に到着。この日の行動を終了した。

鹿川到着後、俺は餌釣りやルアー等、いろいろ手を尽くしたのだが、この日も夕食の獲物は釣れなかった。鹿川は昔サバイバル合宿が行われた場所であり,海産資源は豊富なはずなのだが。釣りが上調な中、広瀬はまたもグングニルでスズメダイ(黒)を突いてきてくれた。去年は河豚一匹しか捕れなかったグングニルが、今年は大きな威力を発揮してくれたようだ。岩田と北村の二人は、広瀬の近くで泳いでいた。この日はそんなに暖かいわけではなく,無理に泳がなくてもと思ったが,初めての西表ではしゃぎたかったのだろう、きっと。

スズメダイを焚火で焼き、テントの外で夕食をとる。この時、山の方から若い男性が一人現れた。舟浮から入山し,ウダラ川沿いに山越えをしてきたようだ。少し会話をすると、彼は浜の奥の茂みへ入っていった。テン場を探していたようだ。俺は何となくどんなところをテン場にしたのか気になり、そちらへ向かった。すると、脇のアダンの木の下に、何やらオレンジ色の小さなものが落ちているのが目に留まった。この瞬間、俺に一気に緊張が走った(ついでに謎の男に対する関心も消えた)。もしかしたら、西表の鹿川でしか手に入れることが出来ない、カヌカ貝の貝殻ではないか?興奮を抑えながら手に取ってみると、オレンジと白が混ざった小さな巻貝で、話に聞いていたカヌカ貝そのものに思えた。これは何としても持ち帰り,もともり工房にて鑑定してもらわなければ…。残念な事に,中にはヤドカリが既に入っていた。ここは何としても貝殻を明け渡してもらおう、と格闘すること15分、ヤドカリははかない命を散らした…。斎藤先輩がかつて言っていた様に,心に武士道を秘めたヤドカリは殻から出るくらいなら死を選ぶのだ。引っ張られて出てくるヤドカリは,すくたれ者にござる。この時ばかりはさすがに可哀相なことをしたと思ったが、以前から欲しいと思っていたカヌカ貝を手に入れた嬉しさは,それ以上だった。我ながら何と残酷な。

夕食後はいつも通り、焚火を囲んで酒を呑み交わす。海岸歩きの素晴らしさをひしひしと感じた。その後は麻雀を三時間打ち、22時過ぎに自然就寝。広瀬は外で寝ていたが、夜中に雨が降りテント内に逃げてきたようだ。朝起きたらテント内にいたので。



3月18日(日) 曇り一時晴れ
朝八時ごろ目が覚めた。時折雨がぱらついていて、皆のテンションは低めだった。それでも前進あるのみ。出発に備えてテント内を整理していると、持ち主上明の水泳キャップが見つかった。何故?合宿中はひげを剃らないという公約を守り通していた岩田に被せると、易者っぽくなって面白かった。それで、水泳帽は岩田の持ち物と決めた。岩田にそれを被った上からメットを被り,行動する様に命じる。

この日からのコースは、メンバーに通ったことがある人がいない。期待に胸を膨らませ、10:00に出発。岩場を歩き、10:54に落水崎手前にある滝についた。これが落水崎の由来だろうとか話しつつ、11:08まで休む。岩田は暑くなって水泳帽を脱いだ。11:15分に落水崎を通過したが、良い感じの岩場だったので記念写真を撮影。 この先は、完全に潮が引いて干上がったリーフの上を歩く。広瀬はグングニルで蟹を、俺はシャコ貝を途中で捕らえた。シャコ貝はテン場に着いてから焚火で焼くことにして、蟹は昼に食べてみようということになった。

12:24から昼食レスト。この日の昼食はスパゲッティなので、まずは蟹を茹でてから麺を入れることにした。しかし、蟹を茹でている間に、この蟹が本当に食べられるのか上安になってきた。広瀬が捕まえたのはどこにでもいる磯蟹で、一般に言われる毒蟹ではないのは確かだった。だが、危険生物や毒に詳しい北村が、レジュメにワタリガニ以外は食べない方が良いとしっかり記入していた。これを見て、徐々に全員が上安に。そうしているうちに、蟹は真っ赤に茹で上がって茹で汁にもたっぷりとだしが出ている。もし毒があったら間違いなく全滅しそうな色のスープが出来上がった。いわゆるDCS(Doping Crab Soup。ドーピングコンソメスープではない。)である。恐怖に駆られた我々はやむなく、茹で汁を捨て、蟹も食べずに葬ることにした。こんなDCS騒動のおかげで、この日の昼食は13:35まで時間がかかってしまった。

無毒のスパゲッティを食べ、リーフの上をテクテク歩く。すると、前方に巨大な岩が見えてきた。海に向かって隆起し、最後は30mくらいの断崖になって海に垂直に落ち込んでいる。地形図にも載っている、ウビラ石であった。ここはかなりダイナミックな雰囲気で、長めにレストを取ることに(14:10~14:34)。ウビラ石の背面は網目状に浸食されていて、見た目に面白い。その上を歩いて末端に達すると、眼前に青い海が広がる。下を見れば、白波が弾ける。ここは海岸歩きの中で最も豪壮な場所だった。てっぺんでいろんなポーズで記念写真を撮る。さすがに末端まで行くと足がすくんだ。

ウビラ石から進むこと30分、幸滝手前についた。予定ではこの辺りにテン場があるはずなのだが、それらしき場所は見当たらない。幸滝より向こうに行って捜索を試みたが、満潮時に水没しそうな場所や、波を被りそうな所しかない。30分ほどうろうろした末、結局幸滝手前の、崖が左右両方から迫ってくる所をテン場とした(15:40)。決め手となったのは、岩田の「僕のワンゲラーの記憶があっちだと言っているんです《という台詞。どうも岩田は、西表に来てから謎のデジャビュを見るようになっていたらしい。沢中や海岸で,一度見た事があるような場所ばかりが出てきたそうな。俺はけっこう非科学的な直感も好きなので,この意見に心を動かされたのだ。時間をかけて整地を行い,大きな石を丁寧にどけていくと,そこはなかなかよいテン場になった。

テントを立てると、俺は他の面子に夕食の準備を任せて釣りに行った。時間が遅かった事もあるが、岩礁帯で波が荒かったので好調の広瀬が泳げず、そうしないと魚を確保出来そうになかったからだ。釣果は、カンモンハタ二匹とフエダイ一匹。俺もやる時にはやるのだ。シャコ貝を加えて、晩のおかずは豪勢なものになった。カンモンハタは淡白な味で,フエダイはちょっと味が濃い。まぁどちらも白身の魚なので大差はないが。シャコ貝は特にうまかった。貝柱とヒモ,それに内蔵の一部が濃厚な味なのだ。味付けを一切行なわずに焼くだけなので,手間もかからない。今後も、大きなものを見つけたら捕ってみると良いだろう。ただし,掘り出すのにはかなりの時間と力が必要なので注意。~

この夜は麻雀をやらず(翌日に運を貯めるため)、焚火を囲んでみんなで語り合う。酒が入ると饒舌になる広瀬が、終始周りをリードしていた。広瀬の知られざる一面、北村の生い立ち等、話題は尽きなかった。この日は、21時ごろにテントに入って就寝した。



3月19日(月) 曇り時々晴れ後雨
いよいよヌバンへ到着する日になった。ヌバンを知る俺と広瀬は、燃えていた。しかし出発前に雨がぱらつき、テンションが低下。のんびり行こうということで、10:19に出発。しかしペースはかなり早く(コースタイムに問題あり?)2時間かかるはずのパイミ崎を11時頃に通過。あまりにすんなり着いたので、完全に見逃してしまったので時間は曖昧である。確かこの辺りで、大きな動物が山の方へ駆け上がっていくのを見た。山猫?

11:11~11:30に昼食レストを取る。この日の昼食は各自が用意することになっていたのだが、何故か広瀬はダース一箱だけ。本人は充分だと言っていたが、何故あれだけしか食べないのに、他の面子同様に動けるのだろう?彼は一回生の頃から小食なのだが,その消化機構は未だ謎のままだ。昼食を食べ終わった頃から日がさしてきて、俄然テンションが上がってきた。歩くことおよそ30分、11:56に遂にヌバンに到着。一年ぶりのヌバンはやはり美しく、穏やかな表情で我々を出迎えてくれた。

ヌバン到着後、俺は釣りに、他の三人は泳ぎに行った。しかし、釣りの調子はここでもあまり良くなかった。去年はルアーを投げれば三回に一回は何か魚が釣れたように思うのだが、今年は魚の反応があまり良くなかった。そのくせ食いつく魚は大物ばかりで、ルアーを二つもちぎられてしまった。試し釣りでひとつルアーをなくしていたため、ルアーの数と種類が足りなくなり、釣り能力が低下。結局釣果は青色のブダイ一匹だけ。残念。泳いでいる三人は、水中写真を撮ったりして、ヌバンを堪能していた。広瀬はこの日も魚を一匹取り、グングニルの力を見せてくれた。何だか自信を無くしてしまうが,決して俺の釣りの腕が足りないわけではない,と信じたい。

そんなこんなで晴れたヌバンを楽しんでいたのだが、13時過ぎから風が強くなってきて皆テントに避難。雨も降り出したので、テント内で麻雀が始まった。しかし、この麻雀も大変だった。風でテントが歪み、フライが張り付いたところから容赦なく雨漏りしてくる。気がつけば、テントの中には大量の水溜まりが発生していた。タオルでふくだけではとても追い付かず、タオルをコッヘルの上で絞り、空気孔から外へ水を捨て続けた。この作業が何十回と繰り返されたのだから,どれ程酷い状況であったか想像出来るだろう。しかし、こんな状態でありながら麻雀を止めようと言い出す人間は誰もいなかった。…逃げたら負けなんです。

天気図の時間となったので、麻雀を中断して夕食の準備をする。夕食を食べながら天気図を確認すると、石垣島のすぐそばに低気圧が発生していた。前線が我々の真上を通過したようだ。低気圧が去ったという事は,翌日以降は天候が良くなっていくはずだ。実際、このころには雨もあがっており、翌日の晴れ沈への期待が持てた。強風は相変わらずで、フライのジッパーが破壊されてフライを閉じられなくなったが、まあ御愛嬌。夕食後は今日の獲物を食べる。さすがに大雨の後で焚火は出来なかったので、俺のコッヘルに付属しているフライパンで焼いてみた。油をたっぷり入れたので、フィッシュ&チップスみたいになっておいしかった。この時思ったのだが,雨の日でも魚を調理できる技は西表では必須だろう。煮付けにしたらおいしい魚もいるし、去年良く釣れたグルクンは油との相性が良く,唐揚げに向いている。危険生物だけでなく,食材となる生物とその調理法を来年以降は研究してみてはいかがだろうか。海岸生活がより楽しくなる様な気がするのだが。

その後はいつも通り麻雀を打ってから寝た。風がひどく、全員が真っ直ぐになって眠る事は出来ない。結局俺と広瀬はテントの隅で丸くなって眠ることになった。こんな寝方は薮以来だったが,案外良く眠れた。下が砂で,柔らかかったから?



3月20日(火) 曇り一時晴れ
この日はヌバンで一日晴れ沈。のんびりと寝ていれば良いのに、何故か皆7時頃に起き出した。俺が見た夢は、ケータイが使えるようになるという内容だった。西表でSoftBankケータイが使えない事の反作用だろうか。いい加減、携帯電話に依存した生活を見直すべきなのかも知れない。

朝食をのんびりと済ませたが、風がまだ強く、陽射しも無いため泳ぎには行けない。自然に麻雀が開催された。10時頃から青空が広がったので、広瀬がやりたがっていた屋外麻雀を決行する。昔の沢面同様、砂で卓を作る事にした。皆で砂山を作り、しっかりと固めて表面を平にする。大きさを測りながら,慎重に作業を進めていく。最後に、上に麻雀マットを敷くと、立派な雀卓が出来上がった。記念撮影をして、麻雀開始。久々に卓の上で打てて,広瀬と岩田は嬉しそうだ。空腹を堪え、13時まで戦いは続いた。その後、卓をテーブルにして昼食のスパゲッティを食べた。

昼食後、俺は再び釣りで西表の魚に挑む。広瀬と北村は泳ぎに行き、岩田はテントで休んでいた。ここでもちょっとした騒動があったので、俺の視点から概要を説明しよう。

まず俺は、干潮を利用してリーフの先端部近くへ行き、そこで暫く釣りをしていた。この日も魚の反応はイマイチで、小さなハタが一匹釣れただけであった。この日、波は依然高いままで、リーフの端にいるとけっこう水を被る。濡れるだけだし早めに戻ろうかと思っていると、足元のリーフの下から大きな魚が突然ルアーに飛び付いてきた。こいつは残念ながら釣り上げられなかったが、案外浅いところにも大物がいると気付いた。そこで、ヌバンの西にある岩場まで移動して釣ることにしたのだ。そこならば,陸の上から釣りが出来るので濡れる心配は無い。何より俺の身体は陸上用に出来ているので、そちらの方が釣りの調子も良くなるはずだ。そんなわけで西の岩場まで,リーフの上を歩いて移動。そちらで暫く釣りをして、俺は新たに二匹の獲物を得た。人数分には足りないが、皆で分け合えば問題無いだろう、そう判断しテントに戻ることにした。

岩場から帰る途中、何やら広瀬が大声で騒ぎながら近づいてくる。テントに残っていた岩田も何か言っているようだ。怪我でもしたのかと思い急いでテントに戻ると、ほぼ同時に戻ってきた広瀬に開口一番「バカヤロウ!《と怒鳴られた。な、何で?詳しく話を聞く。広瀬が言うには、こんな感じで俺以外の三人は慌てふためいていたらしい。

広瀬と北村二人はリーフが深くなっている辺りで泳いでいた。水中で魚を追いかけたりしながらヌバンの美しさを堪能していた。水面に顔をだして,ふと周りを見渡すと俺の姿が無い。岩田に聞いても、戻って来ていないと言う。自分達より東に俺がいたはずなので、東の岩場を確認してみたが、俺の姿は無い。ここで、最悪の事態が皆の頭に浮かんだ。高波に掠われ、溺れてしまったのではないか?広瀬と北村は急いでリーフの深みや沖の方を捜索した。だが、いっこうに俺は見当たらない。もし溺れたのだとしたら、早くしないと助からない。早く見つかってくれ…!と思っていたら、俺が西の岩場の影からテクテク歩いてきたというわけだ。

話を聞いて、怒鳴ったことにも紊得。移動するなら、皆にちゃんと言ってからにすべきだった。俺はそこまで心配をかけるとは思っていなかったのだが…。やはり夏のPWの件が関係しているのか?

俺が無事に帰ってきたので、焚火と夕食の準備をする。薪は大概渇いていたのだが、風が強すぎてライターの火が着かない。いくら火をつけようとしても,ライターごときのちっぽけな炎では,風で簡単に吹き飛ばされてしまう。苦戦の末、最終的にはEPIヘッドで新聞紙に点火するという反則技を使ってしまった。俺個人の意見としては,焚火は現地で集めた物のみで始めたい。新聞紙は本当に最後の手段なのだ。しかし,今回はそれだけで着火する事が出来ず,EPIヘッドの強力な炎の力を借りてしまった。個人的には,もの凄く後ろめたい。もっと精進する必要がある様だ。一度火が着いてしまうと、風のおかげですぐに焚火は安定軌道に乗った。米炊きを他の面子に任せ、俺は魚を焼く。焚火で魚を焼くときは、強火の遠火が基本だ。火力が足りなければ当然焼き上がらないし、火に近すぎると表面だけが焦げ、中は半生になってしまう。そんなわけで、焚火にジャンジャン薪を焼べながら魚の番をしていたのだが、突如調理中のテント内から悲鳴があがった。誰かが火傷をしたのだと思い急いで中に入ると、火傷をしたのは面子ではなくテントであった。レトルトを温めていたところ、鍋が倒れ、EPIヘッドが床に接触。銀マ二枚とテントを貫通してしまった。テントの床に,円弧上の穴が開いている。面白いので記念撮影。どうも西表では、テントが災難に遭う。昨年は天井に穴を開けたし、今年も既にポールにひびが入っている。長期山行だからなのか、それとも何か縁があるのやら。ま、面子が無事で何よりだった。

夕食後、翌日、翌々日の行程を話し合った。翌日には波が収まりそうなので予定通りに海岸沿いに行くことにしたが、最終日の行程で揉めた。俺は既にサバ崎に行ったことがあり、特に未練は無かった。何より後0を回避したかったので、ショートカット(西山林道)を使うことを提案した。だがこの意見に、岩田が大反対。彼にとってはこれが最初で最後の西表合宿であり、今の流れで行けば貫徹できそうなのだから、サバ崎まで是非行きたいと言う。確かに彼の言い分は通っている。だが後0は…。長い間話し合った末、サバ崎に行くことにした。下山後はタクシーを使えば後0も回避できるだろう。本来の行程を,軽い気持ちで曲げるべきではないだろうし。

その後はまたも麻雀。そして、21時過ぎに就寝した。



3月21日(水) 晴れ
夜中の三時ごろ、ふと目が覚めた。テントの外に出て見上げると満点の星空。この合宿で、星を見るのはこれが始めてだと、ふと思った。

その後再び眠りにつき、七時半頃に皆が目覚めた。朝食を済ませて外へ出ると、とても爽やかな青空。もう一日ヌバンに留まりたくなったが、前進あるのみ。この日は昼食を済ませてから出発するので、外に出てのんびりと時間を潰す。風は二日前に比べれば弱くなっていたが、それでも時折強く吹き、撤収中にテントが飛ばされかけた。この日の干潮は15時と遅く、それに合わせて行動すると天気図を取れない可能性があったので、朝のうちに岩田に天気図を描いてもらう。その後昼食を食べ、出発するという決意を固める為に砂の雀卓破壊を決行。そして、11:00に出発し、11:42にはウボ川河口の干潟に着いた。まだ潮位は高いものの、昨年の経験から水牛で突破できるとわかっているので、干潟の横断を決行した。胸まである水に,皆ざぶざぶと入っていく。ここで、岩田が新たな水牛のスタイルを編み出す。これまでの水牛は、ザックを背負った状態で水に胸まで浸かり、フワフワと歩く方法だった。しかし今回岩田が編み出した方法は、ザックを外して自分の前方に浮かせ、それを押しながら歩くというものである。この方法だとバランスが取りやすく、今までの二倊近い速さで進むことが出来るのだ。水中の状態が見にくいものの、これは良い方法だと、全員がこのやり方を採用した。そして、12:04に干潟を渡り終えた。

しかし、我々を待っていたのは惨劇だった。沢面たるもの、ある程度装備を防水するのは当然である。しかし、長時間に渡って水に曝された結果、全員の装備が水浸しになってしまったのだ。防水を過信した結果であろう。俺の被害は軽かったが、他の三人はシュラフを濡らしてしまったし、広瀬は麻雀セットが水浸しになって悲しみにくれていた。そして、この惨劇はテン場に着いてからも我々に襲い掛かるのだった。

とにかく、進まなければ話にならない。絞れるかぎり荷物の水分を絞り、12:41出発。濡れて重くなった荷物に喘ぎながら進み、13:34~13:53に東海大学の研究所がある網取でレスト。14:33~14:42にもレストを入れ、15:10にケイユウおじいとシロの浜に到着した。ここまでの行動は、途中で海蛇を見た以外、特に問題は無かったように思う。最後の干潟では、ミナミコメツキガニの大群を見ることが出来た。砂の上を何百もの小さな蟹がうごめく様子は,近くで見ると気持ち悪いが,少し離れてみれば干潟の豊かさを表す様にも見える。こういった自然が残っているのが西表の良さだ。

一年ぶりのケイユウおじいとシロの浜は、だいぶ様子が変わっていた。砂浜が高くなり、石碑が半分くらい埋まっているし、テン場にあった大きな木も、根本が埋まっているようだ。ともかく、奥に住んでいるおじさんに挨拶をしに行く。今年も相変わらずお元気そうだった。話をしていると,テントを張る場所は奥の畑の裏手にするように言われた。昨年の台風で砂浜の形が変わり、今までの場所にテントを張られると通行の邪魔になるとのことだった。またここで、鹿川で会った人の正体が判明。何と京大、しかも俺と同じ農学部の三回生だった。奇妙な縁を感じた。大学で会ったらわかるだろうか?

言われた通りに畑の裏手に設営し、夕食と天気図に取り掛かる。が、ここで浸水の被害が明らかに。まず、ラジオは完全に死亡した。全く何も聞こえなくなっていて、天気図を描くのは上可能だった。仕方なく,翌日の行動は観天望気に基づく判断で決定される事になった。気象の本を読んだりして観天望気は勉強してあった物の,やはり根拠が無いので上安である。こういった物は,天気図があって初めて高い精度を保つ事が出来る様に思う。そして、火器の類もすべて浸水して使用上可能になっていた。EPIヘッドはおろか、ライターもマッチも使えなかったのだ。火が使えなければ、米を炊くことすら出来ない。この時は、さすがに焦った。予備食のマズいマッシュと乾パンで翌日行動するという事態は、何としても避けねばならない。あらゆる努力を尽くし、結局岩田のEPIヘッドの点火装置の火花でライターに火を着け、その火を蝋燭に移して確保し、俺のEPIヘッドに点火、その炎で岩田のEPIヘッドを乾かすという手順で何とか危機を脱した。今後の大きな反省点である。精密機械と火器の防水には、十分配慮するようにしなければならない。

夕食後は、しみじみとした空気が我々を包んだ。ハプニングを乗り越えた安堵のためだろう。だがその空気も、麻雀によって吹き飛ばされるのだった。

19時半頃、おじさんに呼ばれた。蛍が飛び始めたのだ。このテン場は蛍が多く、川の傍で何百もの蛍が光る。幻想的だった。おじさんは蛍国会と呼んでいたが、その吊に恥じない規模だ。振り向けば、西の空に光る三日月。何とも風情ある光景だった。

その後も暫く麻雀を続け、21時半頃に就寝。装備がほぼ全て湿っていた広瀬には、俺のシュラフカバーを貸したが、寒くないか聞くと大丈夫とのこと。広瀬が海に潜るために持ってきた、鉄粉入りのおもりが発熱しているらしい。触ってみると確かに温かい。ホッカイロの原理だ。久々に化学を思い出して、眠りに落ちた。



3月22日(木) 晴れ
7時前に目が覚めた。岩田は夜から腹の調子が悪い様だったが、本人いわく大丈夫とのこと。外に出ると青空が広がっていた。天気図を見ていないので断言は出来ないが、今日一日雨は降りそうにない。サバ崎まで行けそうである。皆も、七時頃起きてきた。

しかし、明るくなってからよく見ると、岩田が明らかに衰弱していた。腹の具合は相当に悪いようだ。とりあえずホットポカリを飲ませ、回復を図る。しかし、この様子だとサバ崎を回るのはやめた方が良さそうだ(元々乗り気ではなかったし)。皆もそれに賛成し、ショートカットすることになった。

朝食を済ませ、準備をする。と、おじさんの飼い犬がこっちにやってきた。朝は放してやっているそうだ。何故か犬は俺に徹底的にじゃれつき、犬が苦手な俺はかなり弱ってしまった。広瀬いわく、威厳が足りないから犬に嘗められるとのこと。うむ、否定はせん。因みにこの犬は、猪に畑を荒らされないように番をしているそうだ。今までに八匹の猪を仕留めたらしい。中型犬なのだが,秘めた戦闘力はなかなかの様だ。

おじさんと犬に別れを告げ、9:23出発。船の時間の都合で、満潮時に進むことになった。そのため、最初の1ピッチはずっと水牛(岩田式ではない)。10:29?10:39西山林道の入口でレスト。ここから山越えに入る。しかし、何だか道が荒れていてわかりにくい。踏み跡が錯綜していたこともあり、通過するのに30分以上かかった。今後この道を使うときは、ロープの場所を過ぎたらすぐに右に進むと良いだろう。

西山林道を出ると、またも干潟。ここはかなり浅いので、そのまま突っ切ることにした。腰くらいの水深だったので難無く突破し、11:28~11:36、渡り切ったところの砂浜でレスト。ここから先は、昨年の印象がかなり残っていた。イダ浜が近づくに連れ、段々と心が弾んでくる。山から下界に戻る直前というのは,吊残惜しさと嬉しさが混ざり合った,何とも言えない気持ちになる。それもまた,登山の良さだろう。そして、12:05にイダ浜に到着。高らかに下山宣言をする。一週間にわたる長期山行も、遂に終わりを迎えた。


長かったが,色々面白い事が会ったし,海岸の魅力も心から堪能出来た。百点満点をあげたい合宿パート2だった。四回生になり,少なくともリーダー職からは引退する俺にとっては,この西表合宿が自分で計画する最後の合宿になる。それがこれだけ奇麗に達成されたのだから,もう最高だ。リーダー冥利に尽きるというやつだろう。面子も,よくついてきてくれた。本当にありがとう,そしてご苦労様。


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文責:平澤 写真:岩田、北村

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