06年度 前期沢面 夏P.W.

安曇川水系 明王谷遡行


【日時】
8月13日入山 同日下山  0泊1日 予備日1日(行1) 4人

【メンバー(隊列)】
中村−岩田−北村−広瀬

【行程】
1日目:明王院−(1:59)−三の滝−(2:10)−牛コバ−(0:30)−明王院

【備考】
 明王谷は比良の沢登りコースとしておなじみの奥ノ深谷・口ノ深谷・白滝谷の3つが合流してできている谷で、スケール・水量ともに大きな沢である。
 今回は予備合宿であまり沢にいけなかった沢面の経験値を補うためと、単純に夏真っ盛りの沢で泳いで遊ぶためにこのP.W.を計画した。

8月13日 晴れ時々雨

出発前
 今回の山行は始まるまでが一番大変だった。
 午前6時。今日は予定していた沢P.W.の日であるためCLである俺は朝早くから目を覚ましていた。とりあえず天気予報を確認しようと携帯をみるとSLの中村からメールが入っていたのだが、その内容を見て俺は心底呆れてしまった。内容を要約すると「夕立が心配だからやはり明日の沢は無しにする」といったものだったのだが、いったいどうしてSLがそんな一方的なメールを、しかも午前3時に送ってくるのだろうか?確かに昨日の段階の天候判断では俺が一人でこの天候なら行けると決めてメンバーにメールを送ったのだが、今日の降水確率は20%で、夕立が心配なのはわかるがこの時期それは不可避の気象現象である。今回行く明王谷はすぐ横に非常にいい登山道が走っており、いざという時はエスケープすることが十分にできる場所なのだ。この条件で行けないというなら8月に行ける沢など1つもあるまい。それ以前にそんな重要な話をこっそりメールだけ送って逃げようとするというのが信じられん。どうしても自分が納得できないというのなら最低限俺が起きている時間帯に電話で話をつけるべきことだろう。
 さすがにSLのこのやり方にほとほと嫌気が挿してしまった俺は、とりあえず今起きて準備をしているであろう岩田と北村にメールを送り今日の山行が無理になった旨を連絡することにしたのだが、しかし岩田が返信してきた「結局今日の沢は無くなったんですか?」というメールを見て、自分がだいぶ冷静さを失っていたことに気づかされた。
 SLの取った行動が腹立たしいのは確かだが、そのせいで今日の沢を楽しみにしていた(かもしれない)岩田や北村まで沢に行けなくなるのはおかしな話だろう。今リーダーである俺がするべきなのは怒ることではなく、少なくとも最後までみんなが沢にいけるように努力することであるはずだ。
 そのための関門は中村である。
 いまだかつて「はい」と言ったことがないあの男を、残り少ない時間で説得しなければならないのだ。(今日の朝のバスはほぼ1本しかなく、それを逃すわけにはいかない)俺は決意を新たに受話器に手を伸ばし、こうして舌戦の火蓋は切って落とされた。

早朝のディベート
 論点はこうだ。真介側の主張としては「8月のこの時期は非常に大気が不安定な状態にあり、降水確率では予想しきれない集中豪雨が頻繁に発生している。今回の明王谷では最後の三ノ滝で釜を越えてから三ノ滝を突破するのに、ランビレをカットしても最低1時間程度の時間がかかってしまう。その間逃げ場のないゴルジュの中に置かれることになり、集中豪雨が振り出したら非常に危険である。したがって今回の沢は行くべきではない。」
 なるほど正論といえば正論だ。8月も二週目に入ると夕立は頻繁に起こるようになり、集中豪雨の危険性は確かに無視できない。しかし俺が相手にするべきなのはそんな建て前の理屈ではなかった。前述したように今回の沢はすぐ右手に登山道が走っており、最大の危険区間である三ノ滝の渦中ですら1時間で通過できるのである。確かに足の早い沢ではあるが、1時間足らずで致命傷になる増水など考えられないし、三ノ滝手前で雨が降ってきたのならそのまま林道にエスケープしてしまえばいいのである。そんなことは中村だって百も承知であるだろうし、なにより中村の本音がそんなところにあるとは俺は微塵も考えてはいなかった。ようはめんどくさいというだけの話なのであろうが、なるほどその気持ちはわからないでもない。なにしろ夏休みとはいえやることがないわけではないし、いつだって山に行く前は面倒くさい気持ちが強くなるもんである。どうして休み中にわざわざ早起きして出かけなければならないのかという気持ちは確かに俺の中にもあったし、だからこそ最初に中村のメールを見たときにすぐに他のメンバーに中止の連絡を回してしまったのであろう。(それにしてもドタキャンはひどいが)
 とはいえそれは説得の材料にはできない。長いディベート経験の中で熟知していることだが、本当に自分の意見を押し通そうとするのなら相手の認めたくないところを突くのは逆効果である。それが致命的なものであればあるほど、相手は過剰に否定を繰り返すだけだからだ。また中村の言っていることが正論であることも確かなので、その方面から崩していくことも困難だ。こうしている間にも刻一刻とバスの時間は迫ってきており、このまま堂々巡りを繰り返している場合ではないと悟った俺は、切り口を変えて勝負に出ることにした。今回の沢の安全性などを論じるのを止めて、とにかく今日の沢プラスポイントだけを連呼し始めたのである。こんなものに大して効果があるとは思っていなかったがとにかく「今日の天気なら沢は絶対楽しめるって」とか「このくそ暑い中沢で泳ぐのは最高に気持ち良いはずだよ」とか適当に連呼しまくったのである。ようは相手の持っているマイナスイメージを少しでも取り除くためなのだが、本当にしたい質問をスムーズに取り出すためでもあった。そうして適当にしゃべった後に、俺は決め手となる問いを中村に投げかけた、「お前だってなにがなんでも沢に行きたくないってわけじゃあないんだろ?」と言ったのである。これに真介は少し黙った後「そりゃあそうだが…。」と答えたのだが、これだけで俺の目的は9割方達成したも同然なのである。上記の質問はその内容が重要なのではなく、こちらの質問に対してYesと言わせることが目的なのである。中村はその生い立ちが原因なのかどうかはわからないが典型的なディベート人間で、経験的に口論の最中にYesと言ってはいけない事をよく分かっているのだ。たとえ本質的な議論とは無関係のところでも「はい」と答えてしまうことで、人間というものはその他の問いにもNoと言い辛くなってしまうものなのである。その後に俺は続けて「じゃあこの天候でもいける条件を考えてくれよ。」と話を続ける。ここまできたら後は仕上げだけである。最後は彼が用意した建て前の理論に言い訳を与えてやればいいだけなので、俺は真介と話し合って「12時半までに林道に到着するめどが立たなかった場合は登山道にEscapeする。」ということで合意した。この取り決め自体は昼を過ぎると夕立の危険性が高まるため至極もっともな内容なのであるのだが、要はこのように最後にはこちらが譲歩することによってこのディベートが引き分けに終わったという形を取り、スムーズにディベートを収束させることができるのである。

入山
 こうしてどうにかこうにか中村を説得し、明王P.W.開始にこぎつけた俺は慌てて岩田と北村にメールを送った。しかしすでに時刻は7時近くになっており、下宿の遠い岩田などは間に合うかどうかぎりぎりというところである。俺は集合場所の出町駅にもっとも近い位置にいたためBOXにあるザイルとランビレ用具を回収しに行く役を買って出たのだが、そのためあまり時間に余裕はなく朝食は途中で買って食べることにし、手早く出発の準備をすませて駅に向かったのだった。
 それでも俺が1番早く到着していたようで、真介・北村・岩田ともなんとかバスの時間に間に合うことができた。 バスで1時間ほど移動して入山地点へ。(俺だけバスで座っており申し訳ない気分だったが) 坊村に到着してから各自トイレや沢装備装着を済ませ、9時半頃に、ようやく明王谷に入渓することができた。 水量は非常に少なく、連日の晴れ続きの影響がでているようだ。  20分ほど行ったところでこの明王谷に3つあるイベントの1つ目である一ノ滝が眼前に現れたのだが、そのあまりの変わりっぷりに思わず目を疑ってしまった。一ノ滝はもともと人工の堰堤の横にクライムできる狭い岩壁があり、逆層になっているうえ絶えず流れる流水でホールドが滑っているため、この明王谷の中ではもっとも登攀を楽しめる滝だったのだが……はしごがかかっている。ものの見事に新しいはしごが登攀部分から堰堤上部にかけて設置されており、これでは登攀する価値などまったくなくなってしまっているではないか。 それでもはしごを避けて岩壁を登るという手もないではなかったが、その場合はしごが邪魔になってしまう。結局はしごの強度を試したあとに、泣く泣く我々は一人ずつはしごを登っていったのである。
 おかげさまで一ノ滝突破には10分とかからなかった。
 気持ちを入れ替えて先に進み始めたものの、どうも水量が少なすぎて沢の面白みがない。本来であれば無理やりにでも泳いで通過したはずの数々のポイントも、膝までしかない水量では悲しくなってくるだけである。C.L.はやけになって腰以下の水深のところに突っ込みまくっていたのだが、ちょっと進むたびに足がついてしまう…。
 それでも次に出合うニノ滝は十分泳げるだけの釜を持っているはずだと先を急いだのだが、やはり二ノ滝も水量は激減していた。かつてカナヅチの平澤がザイルで引っ張ってもらっていたはずの釜の面影はどこにもなく、胸まで浸かれば歩いてわたれてしまう。もはやここまできたら水に濡れまくってやるしかないと開き直ったC.L.はニノ滝の水線突破を試みたのだが、こちらはさすがに水流が強く、水線上のホールドを保持しているのが大変でなかなかに苦労した。
 そうして10時半前に、予定よりはるかに早く最終イベントである三ノ滝に到着してしまった。今のところは雨の降りそうな気配もなく、どうやら中村との約束も守れそうである。三ノ滝手前でレストを取っている最中に、後ろからサンダル履きの3人の遡行者がやってくる。いかに難易度の低い明王とはいえ、遡行を目的としている人がサンダル履きはないだろうし、なにしろ先頭の一人はダイバースーツを着込んでいたのでどちらかというと沢を泳ぎに来た人達なのだろう。 彼らはSLの中村に登山道に出る道を聞いた後、我々が三ノ滝の釜を泳ぐためにザイルを設営している間に前の二人がさっさと釜を渡ってしまい、その先の三ノ滝本体までもサンダル履きで登攀・下降してしまった。最後の一人は釜の手前で彼らが戻ってくるのを待っていたので、おそらく経験者である二人に連れてきてもらっているのだろう。

三ノ滝
 一方我々はといえば、彼らが釜をスイスイと横切っている間にせっせと手前の流木にザイルを固定していた。さすがは三ノ滝というべきか、ここだけはいまだに十分な水量を保持しており、その釜は瀑布からの強い水流のためザックをしょってそのまま泳ぐのは困難である。とりあえずはTopの中村にザイルをつけて向こう岸に渡ってもらい、中村が向こうに着いたら体確保でザイルを張ってもらって、後続はそのザイルにセルフビレイをかまして水流に流されないようにするのである。さすがに流れが強すぎるため泳いでいるというよりはみな流されているに近い状態だったが、Topの中村、続く岩田・北村ともスムーズな泳ぎで対岸に到着し、最後に俺がこちら側のザイルをほどいてそれを自分の腰に結び付けてから釜に飛び込んだ。水は冷たいがそれよりも水に押し流されてしまってあっという間に右側の岩壁に接触することになってしまう。とはいえ後は壁をつかんでも移動できるのでそれほど苦労することはなかった。1時間ほどで全員向こう岸にたどり着き、なにしろ寒いのでさっさと三ノ滝横の登攀地点まで移動することにする。
 三ノ滝は全体としてホールドがぬめっており、また上の確保地点との距離が長く経路も曲がっているためビレイヤーとの意思疎通の取りにくい滝である。ここは一応予定ではランビレすることになっていたが、すでにSecの岩田は十分なランビレ経験を積んでおり、俺としてはTopの中村が必要ないと思っているのならやらなくてもいいかなと思っていた。中村と話してみた結果、「とりあえず登って見て様子を見る。」とのことだったのでまずは一度登ってもらうことに。最初中村は空荷で登っていったのだが(今回はP.W.なのでTopとSecの二人以外はたいした装備を持っておらず、俺が中村のザックを持って登っても問題なかった)、よりによってザイルを持って行き忘れており、岩田が慌てて指摘したため急遽引き返すこととなってしまった。中村の登攀自体はスムーズにいったようで、俺が確保地点を確認できるように右側に回りこんでみるとしばらくして三ノ滝の上部にその姿が確認できたのだが、やはり久々の支点設営に手間取っているようでそこからはかなり時間がかかっていた。それでもなんとか設営を終えてザイルダウンをするために姿を現したのだが、今度はそのザイルダウンが何度も途中で引っかかってしまいなかなかうまくいかない。実はこの三ノ滝は非常にザイルダウンの難しい滝で、確保地点から距離がある上に途中の壁面に段差があるのでどうしてもザイルが引っかかってしまうのだ。ザイルはその見かけよりもはるかに重く、しかもそれを束ねた状態で遠くに飛ばすのはそれなりの熟練を要する技術である(やはりここではTopのプルージックセルフビレイと2段階ザイルダウンは必須技術のようだ)。結局数度目の挑戦が失敗したところで、邪道だが俺が途中までノーザイルで登って引っかかったザイルを手で下ろすことにした。
 問題の場所はそれほど難しい地点ではないが、やはりノーザイルで高度感のある斜面をトラバースするのはなかなかスリルがあってよい。CLはこういう自由度の高い登攀場所が大好きなのである。ザイルが下に届いた後も、続く岩田・北村ともに曲がったコースに対してザイルが岩に引っかかったりして苦戦していた。そのためノーザイルで途中に待機していた俺が中村と一緒にザイルの両端を持って長縄のように振り回したりして引っ掛かりを取るという意味不明の状態になっていたのだが、それでもなんとか皆無事に通過してくれたようだ。最後の俺がザックを取りに引き返してから再び登ったところで、ちょうど12時半というところだった。

下山
 後は手近の斜面を登って林道に出るだけなので、ちゃっちゃと登ることにする。 俺は最後に沢の水を浴びてから出ようとしたのだが、水深が浅すぎたため子供の水浴び状態となってしまいメンバー一同に「しょぼっ!」と一喝されてしまった。
 三ノ滝上部からは10分少々で林道に到着、各自沢装備を解除して一息つくことにした。帰りの登山道は楽なものだったのだが、なんと下山中にぱらぱらと雨が降り出した。もちろん増水がどうのと心配するほどの量ではないが、中村の予想がここまでドンピシャに当たるとは。じょじょに雨脚は強くなってきていたがなんとか本降りになる前に坊村に到着。慌てて駐車場の軒下で雨宿りをすることに。直後にかなり強い雨が降り出したのでまさにギリギリセーフというところであった。雨は通り雨であったようですぐに止み、にわかに照ってきた太陽で服を乾かすついでに食べる暇のなかった昼食をとることにした。

下山後
 最初駐車場の軒下でごそごそやっていたら車を出す人から白い目で見られてしまったので慌てて横のベンチに移動。(実はC.L.はこの時昼食用の水を汲みにいっており、帰ってきて遠くからその光景を眺めて慌ててその場を離れて他人のふりをしたりしたのだが)大してうまくもないラーメンを食べ終わった頃には服も乾いており、帰りのバスまで時間があったのでみな適当に時間をつぶしていたのだが、俺は気ままにあたりを散歩してみることにした。気の向くままにぶらぶらと安曇川を渡って対岸に出ると、左手には小さな沢が走っており右手には藁葺き屋根の古い家屋が見える。どちらも非常に俺の好奇心をくすぐるものだったが、とりあえず沢つながりで左手にいってみる。その沢は非常に小さなもので人工的な砂防堰堤が連なっており、ある程度の高さまで登ったところで振り向くと、遠くに先ほどのベンチと、まだそこに座っているらしい中村・岩田の姿が確認できた。当然ながらまだ沢ははるか上へと続いており、ついふらふらとその先へと誘い込まれそうになってしまう。しかしこれ以上登っては木に飲まれて視界がなくなるし、角度もきつすぎるので俺は後ろ髪を引かれながらも、先ほどとは違う斜面を通って下に降りることにした。再び先ほどの場所に戻って、今度は藁葺き屋根のほうに向かう。古い建物らしく周りを防風林に囲まれており、どうみても今現在使われていることはなさそうだ。中を覗いてみたかったが、一応人様の敷地になるので入るのは止めて柵の外から眺めるだけにしておく。こういうものがまだ残っているのがいかにも京都らしくていい感じで、見ているだけで実家の旧家屋を思い起こさせてくれる雰囲気が感じられる。まだまだこの場所に留まっていたかったのだが、残念ながら時間がなくなってきたようだ。俺はひと時の幻想空間に名残を惜しみつつ、皆のところへと道を引き返していった。
 ところが歩きだしたところで唐突に携帯が鳴りだした。

出て見ると今は実家に戻っているはずの平澤からのもので、内容はこの後に控えている赤木沢・谷川のP.W.の日程についての話だった。何でも「本来予定していた日程で行くと赤木沢に入渓している最中に雨天が予想されるため、計画を少し後ろにずらして空いた日程で個人山行に行かないか?」ということだったのだが、その予定を敢行しようとするとこのまま帰って今日中に支度を整え、明日の朝一の電車で富山に向かわなければならないことになる。とにかく他のメンバーと相談して見ないことにはどうにもならないので、とりあえず急いで戻ることにした。さきほどのベンチに戻るとまだみんなそこにおり、バスの時間も近づいていたので話をしながらそろそろ移動することにする。本人はこの後のP.W.に参加しないのだが、中村は「無理な計画は止めておいたほうがいい。」と忠告してくれた。しかし岩田・北村の新人組はやる気があるようだったので、最悪日程が大きく遅れた場合は谷川P.W.には行けなくても仕方がないという覚悟をして、計画の日程を遅らして明日富山に向かうことにした。
 そうと決めたら後の行動は迅速だった。俺と岩田はBOXに装備を置いて、そこから個人山行の計画を練るために北アルプスの資料をいくらか拝借し、とり急いで下宿に戻ってあらゆる準備を済ませ、取って返してその足で京都駅まで向かったのである。俺は11時ごろに京都駅に到着しとりあえず眠りやすいベンチを物色し(明かりの当たらないよい場所にはすでに先客がいらっしゃったので)、岩田の到着を待つことにした。岩田は終電近くでようやく駅に着き、隣のベンチで適当に眠ったようだ。北村はなんと明日の朝自転車で来るというのだから見上げたものだが。(電車だと京都駅の始発に間に合わないので)
 俺は明日からの合宿に思いを馳せつつ、街灯の明かりの中ほんの少しだけ仮眠を取った。


文責:広瀬

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