06年度 前期沢面 広瀬Party 予備合宿Part2

奥美濃 黒壁岳


【日時】
7月15入山 16日下山 0付き 1泊2日 予備日2日(行1完1) 4人

【メンバー(隊列)】
平澤−岩田−北村−広瀬

【行程】
0日目:BOX発−夜叉ヶ池登山口の駐車場
1日目:夜叉ヶ池登山口−夜叉ヶ池−三周ヶ岳(ピストン)−藪突入地点−黒壁岳(C.S.1)
2日目:C.S.1−???mピーク−7km過ぎ下山地点(下山)

【備考】
 この計画に関しては記録帳が防水仕様でなかったために、コースタイムが雨でにじんで読めなくなってしまいました。従って以下に書かれる時間記録に関しては、そのほとんどを記憶によって補っているので正確性にかける記録になってしまったことをここでお詫び申し上げます。
 前期沢面の予備合宿Part2として、例年通り奥美濃における藪漕ぎを行う。今回はメンバーの負傷により計画の進行が遅れており7月以降の入山となっているので、天候によっては久しぶりの厳しい藪になる可能性もある。
 このコースは03年に正岡さんが通過しており、全体としては笹と潅木の入り混じる奥美濃の標準的な藪となっているらしい。藪突入地点直後の急なくだりの潅木帯が最難関地点とのことだった。
 今回はそこそこ目的地が近い場所だったので、0付がいるかどうかは微妙なところだったのだが、2日目のコースタイムが10時間ということもあり0付を採用した

0日目

 いつも通りに午後6時過ぎにBOXに集合。全員が車に荷物を積み込み、手早く奥美濃の藪へ向かって出発することにした。それにしても今年はPart1でメンバーの岩田を怪我させてしまったためにようやくのPart2ということになる。一応岩田の足は回復しているということだが、足が治るまでの間は当然余り運動できていないので体力が落ちているのは間違いあるまい。今回は岩田にとっては初めての藪漕ぎでもあるので、厳しい山行になりそうである。
 時間帯のせいか道中は意外とすいており、この分では途中ファミレスによって食事をした時間を含めても4時間ほどで目的地に到着できそうである。0付で10時過ぎに到着できることなどめったにないので、この時点では俺と平澤は明日の山行に備えて十分な睡眠時間がとれると喜びあっていた。
 ところが目的地まで残り30分程度、最後の分岐を曲がって岐阜県との県境付近に差し掛かったところで突然雲行きが怪しくなってきた。いきなり対向車がいなくなってしまったのである。岐阜県側に抜けるこの道路はそこそこ交通量があるはずだし、対向車が一台もいないのはこれはちょっとおかしいなと思っていると、途中道路わきの看板に岐阜県側トンネル通行止めの文字が、それって俺たちが今まさに向かっているところなんじゃあ…。
 いきなり車内に敗戦ムードが漂い始めた中で、それでもとりあえず行けるとこまでは進んでみようということになった。目的地は県境の八草トンネルを抜けてすぐの所だし、もしトンネルの向こう側で通行止めになっているのならぎりぎり足止めされずに通過できる可能性もあるし、などと言い訳しながらではあるが。 何よりここまで来て今更引き返すのは皆嫌だったのだ。(おろかな首脳陣の希望的観測こそが、過去の多くの敗戦の原因であったことは歴史が証明しているのだが…。)
 そうしておよそ20分後、我々はあっさりと八草トンネル前に到着した。そしてトンネル前のこれでもかというほどのバリケードを前にして、もしかしたらトンネルが通過できるかもなどという希望は一撃の元に粉砕されてしまったのである。もはや一同はやけくそ気味にはしゃいでおり、せっかくだからトンネルの前で記念写真をとることにした。 目の前まで来ると使われていないトンネルはまるで鍾乳洞のような闇をたたえており、つい引き込まれそうな魅力がある。「探検部が洞窟探検をする理由もわかろうというものだ」などと一人トンネルの魅力を語っていたら、他のメンバーに引かれてしまった。こんなところでリーダーとしての信用を失うことになろうとは…。
 これ以上時間を無駄にしていても仕方ないので、いい加減引き上げることにして全員さっさと車に乗り込んだ。それにしても今回は事前に道路情報を調べておくことの重要性を痛感した。備え付けのナビに迂回路を指定させてみると、ものの見事に残り1km程度の距離を開けて、地図上に円形の迂回路を描いてくれるのがまた泣かせてくれる。目的地まで後ほんの僅かなのになあ…しかしこれ以上落ち込んでいても仕方が無いので、ドライバーの岩田に頑張ってもらうことにして、我々はトンネル前を後にした。その後大垣周りで3時間以上の延長ドライブの結果、1時過ぎに目的地の夜叉ヶ岳登山道下の駐車場に到着した。
 ここまでの車道は非常によく整備されており、藪の0付としてはかつて無いほどに快適なアプローチであったし、目的地が近かったことも幸いしてある程度の睡眠時間は稼げそうである。本番は明日からの山行である、明日に備えて今日は皆さっさと寝ることにした。各自車の周りに適当に銀マットを引いて就寝。この時間なら後から車が入ってきて引かれるということはあるまい。
 それにしてもアプローチから躓くとは、否が応でも明日に不安を残す結果になってしまった。せめて明日は晴れてほしいと祈りつつ、俺も月を見上げながら眠りについた。

1日目 曇りのち雨

入山
 4時半起床。やはり睡眠時間が微妙に足りていないせいか、少し体はダル目である。それでも俺と平澤は今日までの藪経験値があるので多少の体調不良ならたいした問題にはならないのだが、今回が藪初体験となる岩田と北村、特に病み上がりの岩田に関しては不安要素が多い。今思えば昨日の運転も岩田にやらせずに、俺か平澤がやっておくべきだったのだが、しかし岩田は運転が好きだからなあ。ぐだぐだ言っていてもしょうがないので、とっとと登山道を登り始めることにする。
 起き抜けにそこそこの急傾斜なので多少きついものはあったが、この程度で辛いなどといっていてはこの後の藪は乗り切れまい。本番は藪に入ってからなのである。途中水汲みレストを挟みながら、2時間弱ほどで夜叉が池にたどり着いた。
 相変わらずきれいな場所だったのだが、この頃からなんだかやたらとガスが出てきた。今日の午後は余り天候が思わしくないことがわかっていたので、できれば早めにテン場に着いておきたいと思っていたのだが、この時点ですでにコースタイムをオーバー気味で移動しており、また岩田の状態も明らかに本調子ではなさそうだったので大事をとってあっさりと三周ヶ岳ピストンはカットすることにした。
 しかし時期のせいなのかやたらと笹が育っている。三周ヶ岳手前の入藪地点までは一応登山道になっているはずなのだが、伸びた笹のせいでほとんど藪と化している。これはこの後の藪も相当きつそうである。そんなこんなで30分ほど経ち、ガスが霧雨状に変化し始めたころ、いよいよ入薮地点に到着した。岩田と北村にとっては正真正銘の未体験ゾーン突入である。

藪へようこそご両人。
 俺は平澤についていく2人の後姿を眺めながら、これから彼らが味わうであろう阿鼻叫喚の地獄絵図を想像し、ひそかに彼らの冥福を祈っておいてやることにした。そして俺の予想は、一瞬後には現実のものとなった。
 なにしろ先頭の平澤が相変わらず早い。まさに藪を得た魚という言葉がぴったりである。一瞬目を放すとまるで忍者のように視界から完全にその姿を消している。いくら周り中藪で視界がほとんど利かないとは言え、このくだりの急斜面をあのスピードで駆け下りていくとは人間業とは思えん。やつには恐怖心というものが無いのか?
 正直俺でさえついて行くのがやっとのペースだったので当然岩田と北村が着いていけるはずもなく、すぐに見失っては大声で平澤の名前を連呼し、追いついてはまた見失うの繰り返しとなった。 おかげで岩田はほとんどTopと同じ仕事をこなさねばならなくなっており、藪に入ってからわずか2ピッチでみるみるその体力を奪われていくことになってしまったのである。(注:藪ではTopが笹や潅木を捻じ曲げて道を作るので、Topの疲労度は他のメンバーの倍になる)
 それにしてもペースはあがらなかった。相変わらず平澤は元気いっぱいで突っ走っているのだが、後続が完全に置いていかれている。初めての藪だしついて行けないのは当たり前なのだが、最初の1km地点を通過するまでに2ピッチ・2時間以上かかってしまった。それでもやはり一番きついのが最初の1kmだったようでその後は徐々にペースも回復し、12時前に昼飯を食った後は炎の2時間ピッチに岩田も根性でついていってくれたので3時過ぎには今日のC.S.地点の黒壁岳に到着した。しかし昼飯頃から回復した日差しと、無理なピッチのため岩田の疲労はさらに蓄積してしまったようである。
 黒壁岳の山頂ピークは多少開けており、周囲の笹をへこませればなんとか4テン一張りなら張れそうなかんじである。現在の時間を考えても、本来ならもうここにテントを張ってメンバーの疲労回復を図るべきであったのだが、この時点で俺には焦りがあった。
 今日のコースタイムは6時間であるのに、思った以上にペースが上がらずここに着くまでに実働時間で8時間もかかっている。そして明日のコースタイムは10時間なのである。 このままここでテントを張ったら、明日中に下山できないのではないかという恐れに負けて、俺はテン場を一つ前に見えるピークに移すという判断を下すことにした。
 これこそがまさに最悪の判断であった。

地獄の2ピッチ
 この時の俺にもう少し冷静さがあれば、すでに岩田の疲労は限界に達しているということを見抜けただろうし(ましてや一度目的地について、もうこれで今日は終わりと思った直後の延長は精神的に相当きついものがあっただろう)、また藪2日目のコースタイムは長いように見えても下りの笹薮では下に行くほど藪も薄くなるので、読図を間違えない限り10時間でも心配するほどではないという判断を下せたであろう。これではいったい何のためにいままで藪経験を積んできたのやら。
 しかしどうあれリーダーである俺の判断ミスで、Partyは最悪の延長戦へと足を踏み入れることとなってしまった。その結果たるや無残。目的地はわずか数百m先、さっきまでそこに見えていたピークだというのに、なんと2ピッチ2時間を費やしてもそこにたどり着くことさえできなかったのである。平均時速に直して時速200mというところだろうか。すでに岩田は完全なバテ状態となっており、笹に足を取られてひっくり返ると簡単には立ち上がれない状態となっていた。俺としてはなんとしても目の前のピークまではたどり着きたかったのだが、時間的にも限界が近づいており、しかも遠くから雷鳴の音が響き始めたところでギプアップを宣言することとなった。
 周りにはテン場と呼べるようなスペースは見当たらなかったため、笹を捻じ曲げぎりぎりの幅を確保することにする。テン場を決定して今日の行動終了を宣言したとたんに、岩田はその場に寝転がってピクリとも動かなくなってしまった。(やはり疲労は限界に達していたようだ)平澤がテントを建てている間に、比較的体力に余裕のあった俺が先の方に偵察に出ることにした。明日は朝早く、視界の悪い中出発することになるだろうと予想され、万が一の読図間違いを起こさないためである。(藪中では一度読図を間違うと1時間以上時間と体力をロスすることもある、この状況での読図ミスはまさに命取りである)幸いわかりやすい尾根の一本道であったために偵察には時間はかからなかった。
 戻ってきたらもう平澤がテントを建て終わっていたので、早々にみんな中に入り込み、時間も遅いのであわてて飯を炊き始めることにした。この日の晩飯は炊き込みご飯で、出来もかなりよく美味しいものだった。しかしながらメンバー全員がかなり疲労していたこともあってか食べきることができず、残りは明日の朝飯にまわすことにした。特に岩田の疲労度はかなりのもので、飯ができるまではぐったりとテント内で横になっており、少量の飯を食べたあと再びすぐに眠ってしまった。
 しかしまあ、よくもこの住環境でぐっすりと眠れるものだ。何しろ今回のテン場は過去の藪経験の中でも1・2を争うほどの悪条件(編集注:藪というのは基本的に地面が笹や潅木で覆われているため、テント指定地でも環境が悪いところが多い)で、テントが笹の上に浮いていて周囲が持ち上がっているために、各自が4隅に散らばって寝ないとならないという状態だったのである。一番ひどかったのは斜面の下側になっている北村の場所で、なんと彼は体育座りで一晩を明かしたのである(すまん北村)。俺も斜面の下側だったため背中をテントに貼り付けて寝なければならず、朝起きたときは夜中に降った雨のせいで背中がびしょぬれの状態であった。
 夜中ごろに振り出したこの雨が止まなかったらという最悪の未来を極力考えないようにし、「明日下山できないと行沈発動で月曜の講義に出られんなあ」などと考えながら、この日は眠りについた。

2日目 曇り後晴れ、時々雨

 起床。さすがに多少疲労感が残っているのは仕方が無いが、どうやら岩田の体力はある程度は回復しているようだ。朝食は希望者だけ昨日の残りの炊き込みご飯を食べ、後はいつもどおりだった。さっきから降り続けている雨が気になってはいたが、それほど強いものではなさそうなのでひとまず安心というところだ。多少雨が小降りになったところで、覚悟を決めてテントの撤収を開始。
 この日も決して時間に余裕があるわけではなかったので、すばやくテントを撤収して、昨日の続きでとりあえず目の前のピークを目指すことにした。Secondに戻った岩田の体調はそこそこよくなってはいるようだが、登りの笹+潅木の藪はやはりきつい。仮に昨日さらに延長して進んでいても、おそらく次のピークにたどり着くことはできなかっただろう。結局テン場から二つ先の、コースが南に分岐しているピークまではやはりかなりの時間がかかってしまった。
 この段階では本当に今日中には下山できないんじゃないかと心配していたのだが、9時ごろに3km地点を過ぎた辺りでようやく藪が薄くなってきた。残りのコースタイムは6時間。ここでようやく昨日山行を続行して縮めていた時間が生きてきたようだ。
 曇りの天気で視界はあまりよくなかったものの、熟練の藪面の平澤は読図をミスすることなく順調に歩を進め、1時前には下山地点まで残り1.5kmのところまでたどり着いた。ここまできたらもう藪はかなり薄くなっている。「これはひょっとして予想に反して2時過ぎぐらいには下山できるんじゃないか?」といういつものあまい期待が脳裏をよぎったとき、奥美濃の藪は再び我々に牙を剥いて襲い掛かってきたのである。

 もういい加減これだけ藪に行ってたら思い知りそうなもんだが、奥美濃の藪はこちらが油断したところに毎度毎度罠を張って待ち受けているのである。今回の場合は、残りわずか100mを切ってから目の前に立ちはだかった急傾斜こそが最後の難関であった。
 水平距離は数十mだが、同時に100mもの高低差が存在しているのである。ここで俺は自分の経験に物を言わせて、もっとも安易な手段をとってしまった。「残りわずか100mなら、コンパスだよりにまっすぐ降りればすぐに下山できるだろう」と言い出し、Partyをそのまま目の前の斜面に突っ込ませたのである。
 確かに俺と平澤はこの手の斜面下降を何度も経験していたため、正直目の前ある全てのコースが通過できるものに見えていたのだが(言い訳をさせてもらうとこの時下山直後に渡渉地点が存在し、最短距離を直進することでその川の最も流れがゆるい場所を通過できる予定だったのである。昨日の夜から雨が降っていたため川の増水が予想されたこともあった)、しかし平澤が通過できるからといって、後続の2人が通過できるとは限らないのであった。この場合はこの時岩田が言っていたように、あくまで遠回りでも尾根上の傾斜がゆるい場所を通り、下に下りてから川沿いに移動して渡りやすい場所を探すべきであった。
 結果としてわずか100m程度の距離を下りきるのに、非常な危険を伴った1時間以上のクライムダウンが必要となってしまった。実に過酷な下り坂を制して、なんとかPartyが下山地点に到着したのは結局3時半ごろであったのだが、幸い渡渉に関してはそれほどの水量がなかったために各自一人ずつ慎重に渡ることでさほど問題なく通過することができた。

下山後
 そうして我々はようやく下山地点に到着した。いつものこととはいえ、本当に道中は「今度こそ下山地点にたどり着けないのではないか」という緊張感でいっぱいだったが、どうにか今回も無事生還することができたのだ。この瞬間の安堵と開放感を味わうために、我々は藪をこいでいるのだといっても過言ではあるまい。皆ひと時の充実感と疲労で体の力が抜けており、とりあえず「おつかれー」と言い合ってこの場でしばらく休憩することにした。
 しばらく休んでいると微妙な小雨が振り出し、このままここにいると体が冷えてしまうので、そろそろ車に向かうことにした。実は下山地点から車まで6〜7kmほど峠の車道を登らなければならず、正直疲労が蓄積しているメンバーにはかなりだるい作業ではあったのだが、しかし俺としては藪初体験のメンバーのペースで、しかも一番後ろからみんなが漕いでいった跡を通過していたので余り疲れていないというか、今回の藪に物足りなさを感じていたのである。
 そういうわけで俺は、新人メンバーに無理をさせたお詫びの意味も含めて、一足先に走って車を取りに行くことにした。どうせ荷物はここに置いて後で回収すればいいため空荷で走るのはそれほどしんどい作業ではなかったし、ぱらつく雨も火照った体にはありがたかったのだが、さすがに上り坂だけあって40分後に駐車場までたどり着いたときには全身汗だくになっていた。
 なにしろ後続を下に待たせているので手早く濡れた服を着替えて迎えに行きたかったのだが、よりによって変えの上着を下においてきてしまったために、仕方なくズボンだけ変えて上半身裸のランボースタイルで車に乗り込むこととなってしまった。(びしょ濡れの服ではシートに寄りかかりたくなかったのであるが、おかげでまたしてもメンバーに白い目で見られてしまったような気がする…)さすがに車での下りは早く、後続が歩いて半分ほど登ってきたところで彼らを拾い、一路京都へ向かって帰りの道をひた走ることになった。
 帰りのドライブはどうせ遠回りになることがわかっていたので特に急ぐことも無く、藪後の打ち上げの恒例となっている焼肉を食うためにナビで店を探しながら帰ることにした。残念ながらドライバー連中はビールで乾杯とはいかなかったが、やはり藪漕ぎの後の打ち上げは感慨ひとしおである。店を出た後は俺が落し物をした可能性があるということで、例のトンネルを再び経由してBOXへ帰還することとなった。結局落し物はBOXに落ちており、これまたリーダーの信用度を著しく損なう結果となってしまったのだが…。
 京都のBOXに戻って各自解散した後、俺はすぐさま下宿へ直行していた。疲れた体を引きずって家に帰り着いたときの、このなんともいえない充足感。今はただただぐっすりと眠りたかった。俺は明日の準備も放り出し、「ほんの24時間前に自分があの悪夢のような住環境の中にいたなんてなあ」と思いを馳せながら、ゆっくりと眠りに落ちていったのである。


文責:広瀬

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