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2005年度後期 沢面 平澤Party 合宿Part2

西表島 海岸歩き 舟浮〜ヌバン〜舟浮

概要

【日時】

3月12日入山〜3月17日下山 0付5泊6日 行2完2 4名

【行程】

舟浮〜サバ崎〜ケイユウオジイとシロの浜〜鹿野川〜ヌバン〜東海大学沖縄地域研究センター〜ケイユウオジイとシロの浜〜舟浮

※計画段階では、鹿野川から幸滝を回りヌバンに至る予定だったが、悪天候のため山越えをした。


記録

3月11日 晴れ

この日は、朝はのはら荘で朝食を食べた後に買い出し。その後は自由行動とした。各自が観光等をして、白浜に17時頃に全員が再集結した。

17:50の最終の船で舟浮へ渡った。ここは、船でしか来れないまさに最果ての集落といった感じのところ。時間も遅いので、帰りにじっくり立ち寄ることにして、ぱっぱと0付きをするイダ浜へ向かった。一年ぶりのイダ浜は、波が穏やかで、夕日が美しくて、素晴らしく奇麗だった。蚊がもの凄く多かったのには閉口したが。天気予報に夜と、翌日の午後は雨ということだったが、丁度ヌバンに向かう日からは晴れて来るということだったので、予定通り翌日入山することにした。もし、この日きちんと天気図を描いていれば、この判断は全く変わっていたのだろうが…。この夜は、ウミヘビが波打ち際によってきたりしたが、その他は何事もない穏やかな夜だった。

3月12日 晴れのち暴風雨

行程(時間は休憩を含まない)

イダ浜

↓1時間50分

サバ崎

↓1時間30分

ケイユウオジイとシロの浜

↓1時間40分

ウダラ川・鹿野川分水嶺

↓45分

鹿野川

5:59に起床。0付きなので、各自朝食をとる。イダ浜の北の方には、小さなキャンプ場があり、水道はないが一応水洗のトイレはある。ここは観光客がかなり訪れるので、このトイレを利用した方が良いだろう。7:12に出発。この時はよく晴れていて、とても午後から雨が降るとは思えなかった。この日は行動時間が長く、どうしても満潮直後に出発しなければならなかったのだが、水位が高くて大変だった。去年は干潮に通ったので簡単に突破できたところも、臍くらいまで浸からないと突破できなかった。波が穏やかだったこともあり、危険はなかったが。サバ崎の半島の付け根の干潟になっている部分を腰まで浸かりながら突っ切り、8:08西山林道の入り口にてレスト(〜8:23)。ここから西山林道を使えばかなりのショートカットになるが、せっかくだしサバ崎の先端まで行こうということになった。9:18に、サバ崎手前の小さな船着場についた。この頃から、だんだん曇りがちになってきていた。この船着場は灯台管理用のもので、灯台まで舗装された道が続いている。ここで9:34までレストし、その間に俺と広瀬が反対側に降りる場所を探した。どうやら道が右に曲がる辺りから降りられそうだと見当をつけ、灯台前で記念撮影をしてからアダンの薮を漕ぎ、海岸線へ降りた。過去の記録によるとここには切り開きがあるとのことだったが、今回は発見できなかった。この下りは、最後の方はざれたところを滑り降りる感じだったので、逆行するときは苦戦すると思う。

この後、10:15から雨がぱらつき出した。10:20には結構激しい降りになったので、小さな木陰で雨宿り兼昼食とした。10:45には昼食を食べ終え、雨も上がっていたのでそのまま出発した。11:07に、西山林道の出口に到着。帰りはおそらくここを使うだろうと思ったので、周囲の様子を良く確認しておく。赤テープや漁業用の浮きといった目印が大量にあった。11:14から、再び激しい雨が降り出す。だが。11:29に小降りになったので再出発した。11:51に、五日目のテン場であるケイユウオジイとシロのセパを着用しつつ、雨が弱くなるまでまたも雨宿り。SLは雨の中行動したくない派なので、こうも度々雨宿りをしたの浜に到着。ここに棲んでいる人が漁をしていた。ここはそのまま通過し、11:58に、山越えルートの入り口であるウダラ川河口に到着。ここでレストをし、股擦れの治療や踏み跡の捜索をした。千葉大キャンピングツアー部のHPにあった記録では、左岸に踏み跡が続いているとのことだったが、発見できなかった。仕方ないので、傾斜が緩い右岸からウダラ川に沿って登ることにし、12:19に出発。この頃から、またも雨がぱらつき出していた。この時は、さっきまでの様にこの雨もすぐ止むだろうと思ったので、特に気にせずに進んでいた。この頃はだいぶ潮も引いていたので、マングローブ帯は干潟になっており、特に苦戦することもなくウダラ川河口部を進むことができた。

しかし、この後が酷かった。12:41、河口部の湿地帯が終わる辺りで雨が激しくなってきたのでまたも雨宿り。だが、この雨は先ほどまでとは違い、すぐに止む気配がない。少し様子が違うと思っていたら、急に風向きが変わり、暴風雨になってしまった。これは間違いなく寒冷前線が通過していると判断し、どう行動するか悩んだ。雨の中動きたくないSLは、このまま雨宿りを続けたそうだったが、この激しい降りではどうしたって濡れるし、風で体温を奪われるので却下。選択肢はすぐに進むかすぐに戻るかの二つだった。「戻れば30分程でテン場につけるが、明日以降の行程を貫徹することが難しくなるだろう。進めば2時間でテン場に行けるし、寒冷前線だから明日には天候が回復する可能性もある。上流部は道もあるし、危険はさほど無いはずだ。」と判断し、このまま初日のテン場である鹿野川まで突っ込むことにした。13:05、出発。沢沿いは道が錯綜し判りにくかったが、大きく迷うことは無かった。ただ、道が雨のせいでヌルヌルになり、ペースは上がらなかった。14:13から14:27まで、ウダラ川と鹿野川の分水嶺でレスト。この直後の下りで、天然記念物のセマルハコガメを捕まえた。雨が激しかったので、感触だけ憶えてすぐに放してやった。14:51から14:58まで、水汲みレスト。海岸でも水は汲めるのだが、あまり水が奇麗に見えない、という提案があったから行った。が、個人的には何処で汲もうと西表の沢の水は濁っている気がする。15:22、やっと鹿野川に到着。風が強く、テントはプリンのように揺れて中はかなり狭かった。

この日の16時放送の天気図をSLに描いてもらった結果、上空に停滞前線がいること、等圧線の間隔が異常に狭いこと、今後12時間は西表の近海で15〜25mの激しい風が吹くことが予想されることが明らかになった。前日の時点できちんと天気図をとっておけば、入山を一日遅らせる、行程を短縮する等の対策をとれたかも知れない。これは反省すべき点である。ともかく、翌日の行動は、そのまま幸滝を目指す、鹿野川に一日留まる(沈)、山越えしてヌバンに直接行く、以上の三つのうち、最適なものを選ぶことにした。テンションを維持するため、secの秘密兵器、トランプで22時頃まで遊んだ。トランプ終了後、何故かこの日は天気図の放送が聞こえることが判ったので、SLに前線、低気圧のみ描いてもらい、22:45に就寝した。

3月13日 雨、風強し

鹿野川に留まる。

7:00起床。ぜんざいを食べながら外の様子をうかがう。見た目波は低かったので、何とか行けるんじゃないかということになったので、この時点では11時に出発することにした。しかし、寒い。昨日までが嘘のようだった。去年の異常な寒さの西表が頭をよぎった。そのためか、なかなかテンションもあがらない。そんな感じでだらだらしていると、ラジオを聞いていたSLが、八重山地方の天気予報を確認した。結果は、「沖縄全域に波浪注意報、波の高さは4m」とのこと。幸滝へのルートは、リーフがあまり発達しておらず、波が高いと行けないので、速やかに予定変更。翌日以降の予報を聞いても、あまり良くなる感じではなかった。9:10放送の天気図を描いてみて、それは確信に変わった。急いでヌバンにいっても、晴れなければ意味が無いので、この日はおとなしく沈することにした。その後はお菓子を賭けてチンチロ勝負をしたり、少し雨が上がった間に野球をしたり、トランプをしたり、ともかくテンションを維持することにつとめた。日程をのばすのは皆辛かったこと、翌々日は高気圧が来そうなことを考慮し、翌日は山越えをして一気にヌバンを目指すことにした。次の日の行動が長くなるので、この日は21時頃に就寝した。

3月14日 雨のち曇り

行程(時間は休憩を含まない)

鹿野川

↓40分

鹿野川・ウダラ川分水嶺

↓50分

ウダラ川支流・アヤンダ川分水嶺

↓1時間40分

アヤンダ川・ウボ川分水嶺

↓50分

ウボ川河口

↓35分

ヌバン

6:00起床。まだ波浪注意報は継続していたが、干潮時に海岸に出られる様に時間調整済みだったので、ともかく前日の予定通り山越えすることにした。7:36に出発。この日も寒かった。海岸で、某忍者ガメのフィギュアを拾ったので、鹿野川・ウダラ川分水嶺でのレスト(8:16〜8:28)の間に、鹿野川の守りガメとして奉納した。その後、昨日の道を戻り、9:00にアヤンダ川へ抜けるウダラ川支流の分岐を通過。この先、踏み後は左岸上部に続いていたようだったが、我々はそれに気付かず、沢沿いに進んでいった。気付いたのは9:17にウダラ川・アヤンダ川分水嶺に到着してから。ここで9:31までレスト。この頃から、雨は上がっていた。

ここからは尾根上に踏み跡とテープがあり、それを辿って9:42にアヤンダ川に到着。川沿いには踏み跡らしきものは見られなかったのでそのまま川を下ったが、これは以後やってはいけない。我々は沢を下降することもあるので何となく行ってしまったが、登山の基本の通り、道が判らなくなったときに沢を下る等言語道断だと実感した。暫くは何も無い河原なのだが、徐々にスラブや滝が出てきた。この時点で、沢沿い意外に道があると判ったものの、まぁ行けるだろうと判断しそのまま下降した。しかし、ウボ川に抜ける支流手前には、ヌルヌル滑り、ホールドの殆どないゴーロ帯が…!なんとか突破は出来たが、その難度はPart1よりも上であった。その後ウボ川へ抜ける支流に入ったが、ここにも滝やゴーロが。傾斜も相当なもので、これは大変だとかなり後悔した。沢沿いには薄い踏み跡やペットボトルもあり、通過した人がいるのは判ったので、意を決して左岸の高巻きに入った。すると、15m程登ったところで、幅1m程の素晴らしい登山道に出た。さっきまでの苦労は何だったのか…。道に出た10:17から、10:32までレスト。その先道を辿ると、道は右岸にわたりウボ川へ抜ける支流に沿って続くが、逆にアヤンダ川左岸に続く踏み跡もあった。おそらくアヤンダ川下流部には、ゴーロを避ける踏み跡が両岸についているのだろう。我々はこの登山道を辿り、11:12にアヤンダ川・ウボ川分水嶺手前の広々したところで昼食レストとした(〜11:57)。この日の昼食は、揚げ玉と麩のタヌキ麩ソバの予定だったが、SLが上原で秘密兵器・アゲを購入していたので、美味しいタヌキツネ麩ソバとなった。

12:05、アヤンダ川・ウボ川分水嶺を通過。ここから先は道は不明瞭になるが、テープはしっかり続いている。ただし、テープに書かれたメッセージは真意を察しにくい。分水嶺直下にあるテープには、「右」と書いてあるが、これは登ってくる人用。ウボ川河口直前にあるテープには、「左崎山、赤いテープへ」と書いてあるが、これにはそのまま従って左へ向かうこと。12:37、ウボ川に出る。ここからは道はかなり不明瞭になるが、流れがあるうちは川沿いに進んで構わない。流れが無くなってからは、マングローブ帯の中を行ったが、ここは干潮でなければかなり苦戦すると思う。12:54、広大な干潟に到着。あまりに広大なので、記念写真を撮った。その後、干潟を突っ切り、乾いたところまで行ってレスト(13:08〜13:20)。その先は、潮が引いているので特に困難も無く進んだ。いくつかの小さな砂浜を超え、13:42、ヌバンに到着。風が強いので、風が当たらず波をかぶらないところを求めて進んだ。13:47、ヌバンの東側に注ぐルンゼの横に丁度風が当たらない場所を発見したので、そこをテン場とし、行動終了。その後、広瀬はせっかくヌバンに来たのだからと、寒い中頑張って泳いでいた。俺は薪を集めた跡、夕食のおかずを釣りに行った。釣果は1時間弱で、カンモンハタ4匹に、フエダイっぽい魚が1匹。これらは総て焚火で焼いて、美味しくいただいた。満潮になったらテントが水没するかも、とヒヤヒヤしたが、幸いそんなことにはならなかった。夕食の前に皆で必死に作った堤防が、少し寂しげだった。夜はばらばらに就寝し、翌日は晴れ沈なので自然起床とした。

3月15日 晴れのち曇り、ほんの少し雨

行程

一日ヌバンで遊んだ。

この日は自然起床。俺は六時過ぎに起き、しばらくルアーを投げていた。早朝は寒くてあまり真剣にやっていなかったので、せっかく針に掛かったダツを逃がしてしまった。secは、満潮に会わせて8時頃から泳いでいた。そんなsecを横目で見ながら、釣りに一段落を入れた俺は米を炊こうとしたのだが、ここで衝撃の事実が発覚。米不足が発生していた。今回の合宿では、Part1とPart2の米をまとめて現地購入し、それぞれ量り取って持ってきていたのだが、計量カップが無かったため、測定器具は俺のコッフェルだったのである。そのため、誤差が積もり積もって米が足りなくなったようだ。米はあと14合必要なのに、我々の手持ちは10合しかなかった。そこで、まずは合宿最終日は西山林道でショートカットして昼食を舟浮の飲食店で食べることにし、最終日の昼食のラーメンを朝食に回すことにした。これで2合米が浮くことになった。あとは、1合を150ccと計算してごまかすことに。どうしようもなく足りない分は魚で補うことにし、俺は釣り竿を握って再び海へと走った。釣果はカンモンハタ2匹。三枚に降ろし、みそ汁の具にした。これで、少しは皆の腹も膨れたのではないだろうか。期待通り、朝食の少し前、9時半頃から待望の晴れ間が現れ、ヌバンでの晴れ沈はいよいよ本格化した。

晴れ沈を堪能する前に水を確保しなければならない、というわけで、俺は一人水場を求めてテント脇のルンゼを登った。ここは、下流は完全に砂に埋もれているが、少し登ると岩場になり、水がほんのチョロチョロとだが流れている。汲むにはかなり根気がいるし、晴れ続きでは使えないだろう。西側のルンゼの方が大きいし、水場としては優秀なように思う。行ってないので何とも言えないけど。こちらの水場の利点は、汲むのが楽なことだろうか。左岸のアダンの薮の裏に広がっている草地を突っ切れば、1分ほどで到着する。

水もたっぷり汲んだので、あとは遊ぶだけ。secは昼寝、SLと広瀬は海水浴を、俺は釣りをしていた。他の奴らのことは見ていないのでよくわからないが、俺はヌバンの西の端の岩場に行ってルアーをずっと投げていた。しかし、ヌバンは本当に魚が多い。カンモンハタは20匹は釣ったと思う。あまりにも釣れ過ぎるので、全部逃がしてやった。その他、よくわからないフエダイが釣れたが、これも放流。面白いことに、白い5cmくらいのバイブレーションでカワハギが釣れた。他のルアーには見抜きもしないのだが、こいつにだけはすごく良く反応した。せっかくなのでカワハギを1匹持ち帰って、昼食のときにカワハギのマヨネーズソテーにした。この料理は大当たりで、カワハギが鶏肉のような食感で非常においしかった。なお、昼食のときに他の大学のパーティーがヌバンに出現した。少し話をしたが、件の堤防のおかげで少し彼らに馬鹿にされていた気がする。昨日は波が高かったから怖かったんだ、と心の中で主張だけした。

午後は、干潮に合わせてリーフの端まで行ってみた。水中眼鏡で覗いてみたが、リーフの外側の海は、本当に奇麗だ。泳げない俺はこうやって覗くことしか出来なかったが、泳げる人はぜひリーフの外側を泳いでみてほしい。本当に奇麗だから。secと広瀬は、このときウミガメを目撃したようだ。俺はそのまま一時間程外洋に向けてルアーを投げていたが、やっぱり魚はよく釣れた。岩礁帯で釣れるのとは違う、イサキみたいな魚や、フエダイが釣れたが、外洋の方が魚は大きい気がする。一度1m程の巨大な魚(たぶんガーラ)がルアーを追いかけてきたが、残念ながら食いつかなかった。まぁそんな大物が掛かってしまったら、俺は海に引きずり込まれて溺れておしまいなのだから、掛からなくて良かったのだが。

15時頃から曇りがちになり、夕食のときには小雨がぱらついたが、数分で止んでくれた。この日も、夜は焚火を囲んだ。俺の釣った魚を焼いて、泡盛やジンを飲んで、広瀬の人生論を皆で聞いて、最後にちょろっと花火をして、楽しい夜は更けていった。

3月16日 晴れのち曇り一時雨

行程(時間は休憩を含まない)

ヌバン

↓1時間40分

ウルチ崎

↓35分

東海大学沖縄地域研究センター

↓1時間15分

ケイユウオジイとシロの浜

7:00起床。米を炊く間に、俺とsecが水汲みに行った。そのときにSLがラジオで来た天気予報に夜と、午後からは雨が降るらしい。昨日の天気図を見た感じでは、そんなに荒れはしないと考えていたのだが、一抹の不安は残った。9:00に、青空の下楽園ヌバンを出発。10時前にウボ川河口部の入り江に到着した。ここは、十四日に通った範囲は干潟であることは判っていたのだが、それ以外の場所はよくわからないので、潮位が高いこともふまえ出来る限り岸に近いところを通ることにした。が、広瀬がどんどん岸から離れる方向に突っ込んでしまい、声をかけても帰ってくる気配はない。結局それに引きずられるように、入り江を横断してしまった。地形図では入り江の東側に岩があるが、その辺りに出るように入り江をわたったのだ。干潮4時間前で、臍上まで浸水。もう少し潮位が下がってからなら安全に通れるということは判ったが、今回は無茶をしすぎたと反省。入り江を横断してからレスト(10:03〜10:18)。

10:54にウルチ崎を通過。この辺りはかなり海面から高い岩の上を巻いていった。また、大きなカサガイが沢山あったので、昼のおかずに採集した。11:29に東海大学沖縄地域研究センター前を通過し、その先の川の河口部で昼食(11:35〜12:32)。この頃から曇りがちになっていた。カサガイは12個あったので、まず一つをバーナーでつぼ焼きにしてみたが、作りにくいのでの残りは泡盛蒸しにしてみた。味は微妙… 腸をとれば普通の貝だが、火を通しすぎて堅かった。腸は俺は苦手だ。調理法によってはもっと美味しくなるのだろうが、そこまでして食べなくても良いのでは?

昼食後、一つ目の危険箇所を通過してからレスト(13:15〜13:29)。この時からポツポツ雨が降り出した。風も少し出てきて、嫌な感じだ。13:49、最後の危険箇所を通過し、アヤンダ川の河口の干潟に出た。昼食後通過した危険箇所は、へつりでの突破はまず出来ないので否が応でも海に入ることになるが、かなり深い。干潮前後2時間でないと、突破は難しいだろう。波が高くても通過は出来ない。アヤンダ川河口の干潟は、ウボ川河口に勝るとも劣らぬ広さで、ウダラ川の河口からケイユウオジイとシロの浜までずっとつながっていた。干潮だったので、すたすた歩いて13:59にケイユウオジイとシロの浜に到着。石碑の向かいに大きな木があるので、その裏側にテントを張ることにした。なお、この浜の奥には人が暮らしていて、この辺りは生活用の通路になっている。今回はテントを立てる前に挨拶に行った。今後もきちんと挨拶してからテントを張るようにしよう。棲んでいる人は50過ぎくらいの男性で、気さくで良い人だった。風が強くなったら、奥の畑の横に逃げてきても良いと行ってくださった。幸いこの日は避難することはなかったが、ここは北風のときに、地形のために突風が吹きやすいとのこと。注意が必要だろう。

この日の夜は、テントの中で大富豪をした。俺は勝負勘が全然働かず、だめだめだったけど。翌日はバスの時間や食料の都合からショートカットすることにし、22:30に就寝。

3月17日 晴れのち曇り

行程(時間は休憩を含まない)

ケイユウオジイとシロの浜

↓40分

西山林道入り口

↓30分

西山林道出口

↓45分

イダ浜

7:29に起床。本来昼飯のはずだった沖縄そばを作ったが、あおさ海苔や麩を入れたせいでしょっぱいドロドロなものになってしまった。出発前に、俺が例の男性に挨拶に行ったが、結構話し込んでしまった。今年は雨が多く薪の準備が大変だったらしい。彼の主食は、手作りのオーブンで焼くパンなので、薪不足は困った問題のようだ。その他、この浜の川沿いには、2月から4月にかけて大量の蛍が現れ、光の川のようになるらしい。彼は蛍国会と名付けていたが、ぜひ見てみたいものだ。最後に、市販のものよりずっと美味しいウコン茶をいただき、彼と別れた。来年また会えるだろうか。

9:03に出発。この時、既に曇り空。時刻が満潮直後だったので、なかなか進めない。9:42に、西山林道入り口に到着し、そのまま突入した。道は、最初は踏み跡がはっきりしているが、尾根を超えた辺りからだんだん不明瞭になる。最後は何度か踏み跡を外したが、最終的にはルンゼ沿いのルートを発見し、10:09に林道から海に出た。ここでレストをしたが、その最中に、広瀬が岸に寄ってきたフグを銛で貫いた。今合宿中最初の銛で捕った獲物だったが、当然フグをさばけるわけもなく、銛を引っこ抜いて放流。フグよ哀れ、儚い命を散らしたか。と思いきや、やつは元気に泳いで帰っていった。タフなやつだ。そんな風に遊んで、10:30に出発。行きに突っ切った干潟は思ったより潮が引いていて、膝くらいまでの深さだったので難なく突破。そこから先は、あまり濡れないでも行けたのだが、SLと広瀬は胸くらいの水牛をしてがんがん進んでいった。当然俺は陸から彼らを生暖かく見守っていた。小さな砂浜のあちこちに熟れたアダンの実が打ち上げられ、それにヤドカリが山のように集っていて、キモカワ。そんなこんなで、11:16にイダ浜に到着。長かったのに、やけに短く感じる海岸歩きは、こうして幕を下ろした。

その後は着替えたり、服を乾かしてから舟浮へ。船着場前の店で昼食を食べ、オリオンビールで乾杯。あとはお土産を買って、12:50の船で白浜へ。その後はまたも別行動。のはら荘へ直行する者、観光に行く者、温泉に行く者と色々だった。その夜はのはら荘でおいしい御飯を食べ、翌18日の朝食の後に解散。広瀬とsecは朝一に高速船で石垣へ渡り、その足で京都へ。俺とSLはのんびり貨客船で石垣へわたり、19日は別々に石垣を観光。その翌日、俺は波照間へ旅立つSLを見送り、一人京都への帰路についた。