02後期 沢パーティー合宿part1

沢・西表島縦断


【日時】
03年3月7日〜13日 6泊7日 4人


【行程】
1日目 入山〜由珍川〜CS1
2日目 古見岳piston〜板敷川〜幻の湖〜CS2
3日目 マヤグスクの滝〜マリュウドの滝展望台(CS3)
4日目 ギンゴガーラ〜分水嶺(CS4)
5日目 仲良川〜CS5
6日目 仲間川〜CS6
7日目 南風岸岳〜南風見田浜(下山)


3月7日〜入山〜

 入山口にもいろいろあるが、西表の沢の入山口ほどやる気をそがれる入山口は無いと思う。へク谷の入山口もやぶやぶしていていやだったけど、西表に比べればまだましである。西表は海岸ぞいにしか道が無い。つまり入山口とは川の河口であり、ただ緑色の水が流れているのみである。しかも我々はここから入ると、一週間はジャングルの中なのだ。しかしここまできた以上入山するのみである。見るからに気の進まなさそうなSLを先頭に、左岸の踏み跡から入山した。

しかしながら入ってみると、ユツンはなかなかきれいなところであった。去年の大見謝川だといきなり遡行図に「トロ、50m、泳ぐ」と出てきて呆然としたが、そんなものも無く、踏み跡から降りると、そこはすぐ沢になっていて、水の流れもきれいでよどみもなかった。

行ったことのある人しかわからないが、西表の沢は本州の沢とは違う独特の雰囲気がある。植生は亜熱帯であるのでシダ類も多く、木の高さも低いものが多い。そして岩には一面にこけが生えており、緑で覆われた谷底を沢が流れている。そこは何というか、生命力を感じさせるところである。もっとも今言ったのは、沢の一部分の情景であり、西表の沢の本質はトロである。「トロを制するものは西表を制する」といわれるが、むしろ「西表とは、つまりトロである」とさえ思える。

しかしながらユツンはトロもほとんどといっていいほど無く、緑の深い沢の中を順調に進んでいった。

3時間ほどで、ユツン最大のイベントである「3段50m」につく。樋口が「何で名前がついてないんだろう。」とつぶやいたが、ほんとにそれが不思議なくらい立派な滝である。

30分くらいで巻き終わり、レストにする。滝の上に出ると海まできれいに見えたので一同感動する。

巻き終った地点からすぐのところに3人パーティー(若者2人とおっさん一人)に出会い、紅茶をご馳走になった。

この3人は去年の8月ごろに行方不明になってまだ見つかっていない、松尾隆司さんを探している人たちであった。話を聞くと、マーレー川から古見岳に向かうと言い残して、帰ってこなかったらしい。僕らの行くルートとだいぶかぶっている。

残念ながら生存の可能性はもう無いということだけど、早く見つかってほしいと思う。三人は松尾さんの関係者らしかったけど、このジャングルの中に友人を一人きりにしておくのは耐えがたいことだろう。

そのうち一人は京都のクライミングジム、「クラックス」で働いている人で、俺と吉田は会ったことがある人だったけど、2人とも全く覚えていないということであった。

3人と別れると程なくしてテン場である二俣に着いた。もっともそこがテン場の二俣であると気付いたのは行き過ぎて偵察を出した後であったが。

時間も押しているし、雨も降ってきたので予定していた古見岳へのピストンを明日にまわすことにした。

3月8日〜ユツン、板敷〜

夜半に少し雨が降っていたものの朝方には上がり、二日目の朝7時半ごろ我々は予定通り古見岳へのピストンに出発した。7時半と言うとなんだか遅いように思われるかもしれないが、西表は本州よりもはるかに西にあるので日の出がかなり遅いのである。

古見岳は一応西表の最高峰であり、今回の合宿の見所のひとつである。前日に行き過ぎたときに、ついでに確認した枝沢からわりとすんなりと上がることができた。

山頂は笹薮になっていたが、何箇所か開けているところがあって、海まできれいにみえた。晴れていれば遠くの島まで見ることができると言うことであったが、残念ながらくもりであり、そこまでの眺望は得られなかった。

ピストンから戻ったあと、西表での記念すべき一回目の撤収を追え、我々は島のさらに奥へと進んでいった。この日はユツンから板敷に抜け、幻の湖を経て中流域まで行く予定であったのだが、ほとんどの時間がトロとの戦いに費やされることとなった。

前日会ったクラックスのお兄さんから、ベトナム戦争のようなところだぞ、と聞いていたので、初めのころこそみんなでベトナム戦争ごっこをしながら進んでいったが、それも第4次ベトナム戦争くらいまでで、後はひたすら自分の足の長さと相談しながらトロを巻いたり中を突っ切ったりしていったのである。

クニが「空手バカ一代」の言葉を引用して「平和と幸福に甘んじて、流れるのを止めてしまえば、水はやがて淀み、腐ってしまう」と言っていたが、この言葉の意味がほんとに実感できるコースであった。みんな、ああ俺はいつまでも流れる水でありたいものだとか、川は何度流れるのをやめてもそれでも結局は海を目指して流れていくんだなあとか思って、沢登りって本当にためになるなあと感心しながら進んでいった。

誰も樋口のことを樋口軍曹とか呼ばなくなったころ、やがてトロは、トロと呼べないくらいでかくなり、もはやどっちに流れているのかも分からなくなってきた。

間違って入った支流の奥になかなかよさげな滝があったので、そこで昼飯にする。綺麗な水が流れていて、そこはまさにトロのオアシスといったところであった。

4時ごろにこの日のハイライトである「幻の湖」につく。

この幻の湖は別に、ごく稀にしか現れないとか、深い霧に覆われているというところではなくて、ちゃんと地図にも載っている幻の湖である。トロの大きいものだろうというくらいに考えていたが、結構綺麗なところであった。水は相変わらず深い緑であったが、まわりのうっそうとした雰囲気とあいまって、いかにも秘境といった感じである。ここをはじめて発見した人はさぞかし驚いただろうと思う。幻の湖とつけたのもなんとなく分かる。

ちょうど湖の上流の滝の上でレストをする。ここにはテナガエビがたくさんいたので、大き目のやつを何匹か網ですくった。前の日に会った人の話ではこのエビは「テイスティ、アンド、フレービー」ということなので焚き火で今晩のつまみにするためだ。

幻の湖の後はしばらくいくとゴーロになっており、ちょうど平坦になったところにいいテン場があったのでこの日はここまでにした。予定より2ピッチくらい手前だが仕方が無い。

この付近にもテナガエビがいたので、暗くなるまで網ですくいまくった。といってもこんなことをするのは俺だけであったが。

テナガエビは川エビとも呼ばれるが、本州のものとほとんど同じである。その名の通り手が非常に長いえびで、その身体に対する手の長さの割合は、成長するに従ってますます大きくなるようである。西表の沢中では海岸付近から源流までいたるところに見られるが、さっきの幻の湖の上のように沢山いるところには本当にうじゃうじゃいる。こんなに沢山のエビが一箇所に集まって餌がなくならないのか不思議なくらいである。この地方の郷土料理になるくらい、食材としては一般的なエビである。

取り方はいろいろあるが、まず去年会った地元のおじさんの話のよると、カエルの皮を剥がしたものを沈めておき、近くによってきたエビを網ですくうらしい。それから初日に会った人の話では、ペットボトルの中に魚肉ソーセージを入れて沈めておきしばらくしたら引き上げるという方法もある。この方法はカエルの皮をはぐというスプラッタな作業がない分手軽だけど、何回もやっているとエビが警戒して入らなくなるらしい。

どちらのやり方も実際に試してはいないが、本当にたくさんいるところなら、ただ網でひたすら狙ってすくうのだけでも十分である。

テン場付近では、魚肉ソーセージを入れた網を沈めておき(初めは網にエビの足が引っかかるのではないかと期待した)しばらくたったあとそこら辺の川底をアミごとすくうという方法をつかった。これだけでも大きさを気にしなければ結構な量が取れた。網はランディングネットを使ったけど、たもアミや虫取りアミの先を銀マの間に入れておき、現地で適当な長さの木を見つけて柄にするのが一番いい。

また俺はやったことは無いが、テナガエビは昔から釣りの対象としても有名である。詳しくは分からないが、浮き釣りにしても脈釣りにしても、あたりがあってもすぐに上げないで、しばらく待つのがポイントである。なんでもエビは獲物を巣に持ち帰る性質があるかららしい。浮きが動かなくなって、エビのやつどうやらネグラについたようだな、と言うころあいにすっと上げるのである。エビを釣るというと奇妙な感じだが、深いトロの底を狙うときにはいいかもしれない。

この日はなるべく大き目のヤツ(それでも5cmくらいだが)だけを選んで殻をむいて焚き火で焼き、醤油をつけて食べたが、大きなものはそんなに取れなかったので串焼き1本くらいにしかならなかった。

後日、石垣の打ち上げで川」エビ料理を食べたが、どうも殻ごと食べるのが正しいようだ。

その料理もふまえつつ、結論としては、川エビは小さなものもまとめて、頭も殻も取らずに川から上がったそのままの状態で大目の油で一気に炒めてしまった後、塩をつけて食べるのが一番手軽でいい。 

場所によってはおなかいっぱいになるくらい取れるし、結構癖になる味である。またカルシウムの不足しがちな長期山行にはもってこいの栄養食品でもある。みんなイライラしていてどうもうまくいかないなあと感じたリーダーにはぜひ試してもらいたい。

エビの説明ついでに魚の説明もしておきたいが、西表の沢には岩魚や山女といったいわゆる渓流魚はいない(と思う)。代わりに水中の生態系の頂点に君臨するのはウナギである。ウナギも西表の沢ならどこでも見ることのできるが、とくに板敷川にはかなり多いようである。このウナギとテナガエビが、沢における2大ターゲットである。

ウナギの取り方については、我がワンゲルの集めた資料の中の琉球大WV からの手紙の中に書かれていたが、肝心の仕掛けを書いた部分が抜け落ちていて残念ながら分からなかった。仕方が無いのでここで先ほどのテナガエビのときの地元のおじさんに登場してもらおう。この人の話によると、まずカエルを釣り針に木綿糸でぐるぐる巻きにしてつけ、丈夫なテグスをつけて、ウナギの出そうな岩陰なんかに放り込んでおき、翌日にそれを引き上げるという方法をつかうらしい。またもやカエルが悲惨な目にあっているが、本州で言うところの穴釣りのようである。

たぶん普通のウナギの投げ込み仕掛けも使えると思う。もちろん夜釣りがいい。餌は、春にはあんまりカエルも見当たらないし、テナガエビかミミズでいいとおもう。

もっとも浅いところなんかでも結構見かけるので、追いこんでから手づかみが一番簡単かもしれない。

それからこのウナギは2mくらいに成長するらしい。たしかに板敷のトロや幻の湖にはそんな大物が潜んでいそうである。

また、本州のものより倍以上太い。さっきのおじさんの話では一匹釣ると、「ウナ沈」して食べつづけるらしい。「ウナギを食うのに沈を使い果たして撤退しました。」という報告をしたいなあと密かに期待していたけど、残念ながら今回大ウナギには出会えなかった。

初日は雨のせいで焚き火ができなかったので、この日が西表での初焚き火であった。火を囲んで酒を飲むだけであるが、いつもと違うのは酒が泡盛というところである。

3月9日〜マヤグスク〜

3日目のルートは板敷川を下り、マヤグスクの滝から縦走路にのって展望台まで行く予定である。結論から言って、この日の前半もトロの連続であった。パスタが焦げたくらいで特に事件もなく(食当のクニにとってはトラウマになっている事件だが)、みんな去年に出口さんが作った「よんでいる〜トローが〜この俺を〜」(千と千尋のメロディーで)という替え歌をうたいながら元気よく進んでいったので、話をマヤグスクまで飛ばすことにする。

マヤグスクの滝は西表を代表するような滝で、西表のガイドブックには必ず載っているほどメジャーな滝である。狭いゴルジュを抜け、アプザイレンすると滝の上の大テラスに降りれる。

一般人は軍艦岩からの縦走路を通って滝の下から見物に来るのだが、我々は滝の上から降りてくるわけだ。

アプザイレンのときに一般の見物客がいればかなり驚いたと思うが、残念ながら我々の勇姿を見るものは誰もいなかった。

滝の下ではお決まりの記念撮影をする。縦走路であればそこらへんの登山客にちょっとシャッター押してくれませんか、ということも可能だが、我々の場合4人以外の人見たのいつが最後だっけ?というような状況で、集合写真をとるのにいつも苦労していたが、今回は吉田が小型の三脚を持ってきているので問題ない。

カメラマン吉田は今回の合宿に実に3 台のカメラを投入していた。まずは愛用の一眼レフ。これは高価なものなので厳重に防水されて、ザックの一番上にパッキングされており、立派な滝や要所要所のレストのたびにザックの中から登場し、主に芸術的な写真を担当していた。その他にも使い捨てカメラをちょっと立派にしたような安めのカメラも持ってきていた。これはわりと軽めの防水でウエストポーチの中に収納されており、沢歩き中のちょっとしたイベントや面子の普段の姿を撮るのにかなりの頻度で引っ張り出されていた。沢にカメラを持っていく場合、いつでも水に濡らすという危険が付きまとう。そのため歴代のカメラマンはいろいろと防水に工夫を凝らしていたが、それでも何台ものカメラが犠牲となった。吉田はこのいつでも取り出せるカメラに安物を使うことでリスクを最小限にとどめようというのである。この2台目のカメラのおかげで吉田カメラの機動性は格段にアップしており、我々はちょっとでも面白いことをしたり悲惨のなめにあうと、たちまちにこのカメラにその姿を納められることとなった。最後の1台は水中用使い捨てカメラ。これは主に西表の美しい海の中の世界を収めるためのもので、PART1の間はのはら荘で留守番中であった。

そんなわけでマヤグスクでは一眼レフが厳重な防水の中から引っ張り出され、4人の集合写真をネガに記録した。おそらくワンゲルの歴史の中で何十枚も同じ構図で写真が撮られていることだろう。そこに並ぶ顔は違っても、この滝はずっとこのまま存在し続けるのだ。

ふと去年を思い出し、今年も来たぞ、心の中で滝につぶやいた。水量は去年よりも多いようだ。迫力がましている。

1度は失敗したものの何とかセルフタイマーによる撮影を終えてマヤグスクを後にした。滝の下では樋口がこけるという事件もあったが、たいしたことはなかった。ただ、樋口はこけ方もゆっくりとした落ち着いたこけ方であった。あと、黒い蝶が飛んできたので、ここはひとつ騙してやろうと、クニに「イリオモテクロアゲハだよ。」とうそぶいてみたが、腹黒い彼にはすぐに見抜かれてしまった。吉田だったら信じただろうに。

後は縦走路を歩くだけである。マリュウド、カンピレーと言ったこれまた西表の観光パンフレットに載っている有名な滝を一通り見た後、CS3の展望台に着いた。

3月10日〜ギンゴガーラ〜

さて、入山してから3度目の朝を迎えた我々だが、当初から朝の日課になっていることがあった。それはクニの寝言の報告会である。

電子音で起こされてから全員が一通り起き上がるのを待って、昨晩クニの寝言を聞いたものが一人ずつ発表し、その後クニ自身が自分が昨日見た夢の内容をみんなに発表するのだ。

こんなことしているから出発が遅くなるような気もしたが、この日課は下山するまで毎日行われ(クニは毎晩寝言を言った)、クニの寝言はわれわれに一日の始まりを告げるものになった。

この日の寝言は「最初はグー、ジャン、ケン、ポン!」というものであった(残念ながら、ジャンケンに勝ったのかどうかは不明)。クニの寝言の特徴だが、ものすごくはっきりした声で言うのだ。ひょっとしたらこいつ起きてるんじゃないか、というくらいはっきりしゃべる。他にも寝言はいろいろあったが、その中でもNo1 だったのは「でも、不安材料はすべてのことに通じているようだ。」という寝言で、これは様々な場面で引用されることになった。面白さや意味不明さに関しては、出口さんの「エビアンに襲われる〜。」(01年奥美濃)や、伊藤さんの「ああっ!しまった...。もう、いいです...。」(01年日高、おそらくは役員会の夢を見ていたと思われる)に匹敵する寝言である。

ところで、PART1は6泊という長大な計画であったが、ESCAPEできるのはこのCS3からだけであった。そのため昨年と同じく継続か、続行かの意識調査が行われ、今年もめでたく続行が決まった。ここのESCAPEは道を10分ほど歩いて展望台につき、そこから遊覧船にのって下山という非常に魅力的な逃げ道であり、樋口の心はかなりのはら荘に偏っているみたいであったが、「僕は当然行くものと思ってました。」と一回生に言われては何も言えなかったようだ。なぜならこれは去年樋口本人が伊藤さんに言った台詞だからである。前に樋口に「去年のやる気のあるお前はどこに行ったんだ!」と聞いたところ、西表の展望台に置いてきたと言っていた。そのため、ここにくれば樋口が去年の自分を取り戻して、ものすごいやる気を見せるのではと期待していたが、樋口に昔の自分が見つかったか聞いてみたら、どうやらマリュウドの滝の底に沈んでしまったみたいだ、という答えであった。事実なら回収は絶望的だろう。

そうやってみんなで覚悟を決めた後、次なる沢であるギンゴガーラ目指して出発したのであった。

展望台から浦内川におり、ギンゴガーラに入って1時間ほどで、ギンゴガーラの滝につく。まぎらわしいけど滝の名も沢の名もギンゴガーラなのである。どうも滝のほうが最初らしいが。

俺と樋口は2 回目の遡行であるが、自分としては正直言うとあまり良い印象がない沢であった。難易度的にはそこそこで面白いところも多いけど、なんというかジメジメした暗い沢という気がしてならない。昨年は雨が降っていたからかもしれないけど、今年を見る限りあまり関係ないようであった。他の3人も同じようなことを言っていたが、あんまりはっきりと嫌いということはできない。それはギンゴガーラは昨年お世話になった伊藤リーダーのお気に入りの沢だからである。それは記録に「今回の計画の中で一番綺麗で面白い沢」と書いているほどであった。そういう事情もあってみんなでギンゴガーラを好きになろうと努力はしたものの、昼過ぎから雨が降り出したこともあり今年も印象は良くならなかった。

さて、沢のギンゴガーラはあまり好きではないが、滝のギンゴガーラ自体はなかなか良いところである。30mほどの滝の周りを結構高い岩壁がとりかこんであり、亜熱帯の植生とあいまって、まるで探検隊が南の無人島で発見するような秘境っぽい雰囲気がある。実際島の真ん中にあるので人目に触れることはほとんどないようだ。

滝の下でレストした後は、「思いのほか伊藤さんの評価が高い沢」にちなんで「思いのほか伊藤さんの評価が高い映画」であるクリフハ○ガーの話題から、最初のシーンのチロリアンブリッジから落ちるところのカラビナの曲がり方がありえんけんねとか、水中での格闘シーンで主人公はなんでさっさと銃を撃たないんだとか言いながら遡行していく。

昼飯を食べたところの上にトロがあってその上にツルが垂れ下がっており、ちょうどターザンができそうなところがあった。もちろんやるのは吉田である。彼はさわやかなだけでなく非常にバイタリティーがあふれる男であり、ことあるごとに、ちょっとあそこまで競争しようぜクニとか、外に出てみんなで相撲取りましょうよとか言う男だからだ。そんなわけでみんなの期待を一身にあびてツタをにぎってトロに飛び込んだわけだが、残念ながらというか本当の期待通りというか、ツタは吉田が体重をかけたその瞬間にちぎれて、吉田の身体はトロの中に落ちた。

そんな昼飯を食べた後、さらに上を目指して進んでいく。上流付近に小さいゴルジュがあるのだが、2回目ということもあって特に問題にならない。さらに樋口が開発した新ワザ、「ヒグチムニー」の活躍もあって3時ごろにはテン場である分水嶺に着いた。

ただし昼過ぎからの雨で全員びしょ濡れであり、テントに逃げ込んだもののコンディションは最悪であった。

ぬれた服はみんなすぐに脱ぎたいものである。しかし沢メンなら誰もが知っていることだが、服というものは着ているほうがはるかに乾きが早いものなのだ。そんなわけでみんな気持ち悪いのを我慢して濡れた服を着ながら狭いテントの中4人で向かい合っていたのだが、それはかなりみじめな状態であった。しかしながら、みんな人間は服が濡れた状態でも寝ることはできるということを経験から知っていたので、特に慌てることもなく黙々と自分の体温で服を乾かし続けたのであった。

3月11日〜仲良川〜

合宿も後半戦に突入したこの日、4我々は初めて沈殿の危機にたたされた。昨夜時折降っていた雨が、明け方また降り始めのだ。長い計画なのでそれなりに覚悟はしていたものの、やはりいやなものだ。しかも分水嶺というのはテン場としてはあまりいいところではない。

しかし、結局9時ごろに雨は止み、天気図を待ってから出発することとなった。

2回のアプザイレンを経て仲良川本流まで降りる。特に問題はなかった。

そこから仲良川本流を遡行。分水嶺まで行く予定だったが、出発が遅かったこともあり途中の二俣で泊まることにする。

左岸の上にいいテン場があったのでそこにテントを張り、いつも通り4人で焚き火を囲んで酒を飲む。5泊目ともなると当然生鮮食品は底をつき、レトルトの出番となる。今回は6泊中最初の3日は料理して、残り2日はレトルト、最後の夜はいつもどおり秘密兵器鍋であった。

クニは否定するが、レトルトの中で一番うまい、というかまともなのはカレーで、その次がハヤシライスである。山行でレトルトを食べなくてはならないとき、それが一泊ならみんなカレーを買っていく。2泊レトルトが続いたらならカレーとハヤシライス。では3泊以上になったらどうするか?一番いい方法はカレーとハヤシライスを交互に食べることだ。牛丼や親子丼もあるが大抵食えたもんじゃないので結局これが一番無難だ。

そんなことを議論しながらレトルトを温めていたのだが、この日そのときすでに我々の足元には西表からの刺客が忍び寄っていたのであった。そいつはセカンドの足に這い上がると尾の先端についた針を突き刺して毒を注入したのだ。

まだ明るかったとはいえ、我々がその刺客の存在に気付いたのは、吉田が足を抑えて飛びあがってからであった。そして吉田の話からやっと我々はサソリの襲撃を受けたことに気付いた。

そうなのだ。西表にはサソリが生息しているのである。幸い吉田の作った立派な危険生物レジュメ(立派過ぎて合宿レジュメに収まらず別冊として出版した)から、その毒はそれほど強くはなく、死亡例もないことも知ってはいたが、とにかく吉田は痛そうであった。俺は、とりあえず毒を吸い出さなければとおもったが、吉田の足を見て、いやここは今後のことを考えて同回生であり、これからもコンビを組んでいくであろうクニに任せた方がいいだろうと思い直し、(合理的な判断から)クニに毒を吸い出すように命じた。

後にクニは「吉田の足はしょっぱかったです」と語ったが、俺の思惑通りこの事件で2人の間の信頼は深まったようであった。

   3月12日〜仲間川〜

長かった合宿も残すところ後二日になり、入山当初は想像もできなかったことだが、いよいよ自分たちも下山するんだ、という実感がわいてきた。予定ではこの日、南海岸にそびえる南風岸岳までのぼり、そこから一週間ぶりの海に出るはずであった。

結論から言うと、とても一日で進めるルートではなかったのだが、それを知るのは最終日のことで、4人は南風岸岳目指して行動を開始したのであった。

出発から一時間ほど分水嶺にあがり、そのまま仲間川へと抜ける。RFは簡単であった。ただ、予定ならここがCS5になるはずだったのだが、それほど広くはない。

程なくして仲間川本流にでて、遡行を開始する。相変わらずトロが続くが、ここまで来るとみんなもう慣れてしまいそれほど苦には感じない。昼過ぎにちょっとしたゴルジュに出る。80年代の記録では泳いでいたところだ。見たところ巻けそうにないし、流れもないので、我々も泳いで突破することにした。

沢登りの経験がない人には意外に思われるかもしれないが、泳いで突破するという方法はあまり積極的に使われることはない。 

まず第一に、あんまり濡れたくないというのもある。特に時間が遅くなると、テン場についてから寝るまでに服が乾くという保障もないのでみんな水に入りたがらなくなる。その上、西表の沢はあんまり水がきれいでないのだ。そのためみんな泳ぎはもちろんのこと、ひざ上くらいの深さでも難色を示すほどであった。

それに、流れのある沢中で泳ぐことは、基本的にかなり危険な行為である。水中にある強烈な流れに引き込まれると、人間の力では抜け出すことは不可能であるし、冷たい沢の水に長時間浸かれば低体温症の恐れもある。そんなわけで泳ぎを中級以上の技術として紹介している技術書も多い。6級ゴルジュの突破などになると、ウエットスーツを着込んで低体温症と闘いながら、泳ぎながらボルトを連打して行くといった想像を絶する世界になる。

しかしながら、流れがほとんど無かったり、巻くのが難しそうなところでは、思い切って泳いで突破したほうがよいところもある。今回の仲間川のゴルジュもそんなところであった。

Topの樋口がまず挑戦する。泳ぐときにはザックをはずしてビート板のようにするか、つけたままその浮力を借りて泳ぐことになる。樋口が選択したのは前者のほうだ。

しかし泳ぎの練習は特に予備合宿でしなかったため、わからなかったが、樋口は泳ぎがあまり得意ではなかったようだ。しかもザックカバーをして水に浮かべた樋口のロウアルパインは、なぜか簡単にひっくり返りそうになり、早くも浸水しているようである。トロの真ん中でバタ足しているが、一向に進む気配は見せない。終いにはその場で回転しだしたので、吉田が「戻ってくるんですか?」と聞いたが、彼の答えは「俺の意思じゃない!」というものであった。結局何とか補助ザイルで引っ張り上げ、吉田が変わりに突破したのだが、吉田は例の安い方のカメラを取り出して、この樋口船轟沈事件をしっかりとフィルムに納めていた。

その後岩のトンネルをくぐったり、滝を巻いたりして進んでいく。記録があまり無い沢を行くのは思いのほか難しく、なかなかペースが上がらない。仕方なく流れの横に無理やりテントを張った。

この日は最後の夕食ということで恒例の秘密兵器鍋である。失敗しなければ秘密兵器鍋じゃないという主義の人には申し訳ないが、大方の予想と外れてなかなか美味しいものになった。

去年も沢の最後に秘密兵器鍋をやったが、味は最悪であった。まず、味付けは食当に任せるという決まりなのに、だしやスープを持ってくるものがいるため異常に濃い味になり、その浸透圧は命の危険を感じさせるほどであった。最後に残ったスープをじゃんけんに負けた柳川さんが飲んで処理したが、結局砂浜に戻すことになったので、初めから捨ても変わらなかっただろう。

今年の秘密兵器鍋が成功したのには、ひとつには食当クニの存在がある。食当表は適当だが、クニはなかなかの実力派食当であった。

実力派食当というのは勝手につけた分類だが、用は料理のことをよく知っている食当のことだ。クニはその日の気分で味付けを変えて肉じゃがを作ってみたり、魚を釣ってくるとたちまちそこにあるエッセンで煮付けを作ってくれて、「生臭さを取るためにもっと酒を入れるんですけどね。」とか言っていたあたりが、なかなかに実力派であった。こういった現地に行ってからの料理の自由度の高さは、食料が玉盛スーパーでしか手にはいらない西表では非常に頼りになるものだ。

クニ以外で俺が認定している実力派食当は、昨年後期に沢の食当を勤めた、食当地位向上委員会の高梨会長がいる。他にはいろいろな料理に挑戦する「創作的食当」やひたすら同じ物を作る「単一系食当」などがあるが、後者の中でも特に伝説的になっているのは予備合宿でひたすらポトフを作り続けた出口さんである。何でも面子が止めなかったら本合宿まですべてポトフにしようとしていたらしいから、その単一ぶりは驚くべきものだ。しかし、本人が言っていたことだが、出口さんの料理のスキルは「混ぜる」と「かける」のみであり、その最高の料理は納豆であるという。すなわち納豆はかけると混ぜるを両方行うからだということだが、こんな人を食当に選ぶ方にむしろ問題があるともいえる。

しかしながら、本人いわく、ひたすらポトフを作り続けたおかげで、ポトフの腕はかなりのレベルにまで達しているらしく、その味は「ポトフ大王」の異名を取るほどであるという。

俺の記憶によると、このポトフ大王が最後にお玉を握ったのは01 年の日高PWのポンベツ沢であり、そのときの料理はもちろんポトフであったのだが、リーダー命令で鶏肉のかわりにシーチキンが大量に投入されるという事件が起こり、さらに駄目押しに入れられたマロニーがが汁をほとんど吸ってしまってポトフとはいえないものになってしまった。これが後にいうポンベツ鍋事件であるが、出口さんいわくシーチキンが入れられる前までは最高の出来であったということであり、大王ポトフを食べ損なったのは今考えると残念なことであった。

話しがだいぶそれたが、とにかく言いたいのはクニの実力により秘密兵器鍋がかなり美味しくできたということだ。

このCS6は地面はごつごつして最悪であったが、蛍がものすごくいっぱいいて、日が暮れると沢全体が蛍の光に包まれた。

去年の展望台にもたくさんいたが、今回は沢の真ん中であったのでさらにたくさんの蛍に囲まれ、沢中どこを見渡しても蛍でいっぱいであった。本州ではこれだけたくさんの蛍は見られないだろう。

沢の最後の夜は非常に幻想的であった。

3月13日〜南風岸岳〜

長かったPart1もついに下山する日を迎えた。うまくいけば午前中には下界に降りられるはずである。

この日は仲間川支流を詰め上がって、南海岸にそびえる南風岸岳に登る予定である。のはら荘を目指して最後の行程に出発した。

仲間川の支流は何の問題も無く通過する。すぐに予定のルンゼから南風岸岳に向かって登り始めた。そこからの行程はと言うと、ひたすらにド藪であった。

後で計算してみたら時速200も出ていなかったのだからそのすごさもわかってもらえるだろう。上のほうはほとんど水平な台地になっており、笹と立ち木の薮の中を2時間漕いで、やっとのこと南風岸岳に到着した。

それほど苦労して着いたところだが、残念ながらあんまり開けたところではなく、期待していたほどの眺望は得られなかった。

今回の計画はこの南風岸岳に行くことが大事な目的のひとつだった。予定では、ここから西表島を振り返り、自分たちのきた道のりを眺めるはずだったのだが...。

しかし南海岸の眺望はなかなかのもので、海の向こうに波照間島まで見ることができた。

何はともあれ、目的は果たし終えたのだ。後は下山するのみである。

予定では南の尾根から別れ浜に下山するはずであったが、尾根を10mも行かないうちに「こんなとこ通れるかよ!」という樋口の怒りの声が聞こえてきたので、多少薮の薄い東の斜面を下って、さっきまでいた仲間川の支流の分水嶺から下ることにした。計画では南の尾根がダメなら引き返すはずであったが、みんなあれを帰る気はしなかったのだ。

分水嶺から海を目指して下る。途中何ヶ所か崖を巻いたが、ほとんど問題にならない。波の音がだんだんと大きくなっいくが、なかなか海は見えてこない。ここら辺は去年大浜に抜けるときと全く同じ感覚だ。

1時間後くらいについに海に出た。みんな岩の上に寝転がってレストする。ついに西表を縦断したのだ。

この開放感は味わったものしか分からないだろう。西表の深いトロも、アダンや他の亜熱帯の植物も、南風岸までの薮も、みんなこのときのためにあったかのようだ。

30分ほど寝転がって空を見た後、最後の1ピッチに出発する。後はいくつかのゴーロと砂浜だけである。

5時20分ごろ、南風見田の浜に下山。長かったPart1はこうして幕を閉じた。


文責:齊藤
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